職場(学校)では新学期の準備が進んでいます。
コロナウィルスの影響を受けて、休校措置がとられていました。
4月からも従来通りに学校が動かせるかも不透明な状態です。
この1ヶ月でいくつか気になったことを書いてみます。
[学習]
学校に来て教室に入り教員が来ることによって始められていた学習を、休校措置中でも生徒個人個人で変わらず担保できていたのでしょうか?
これができていれば、誰かに勉強を常に見てもらう必要はなく、困ったときだけ頼ればいいわけです。
これは優秀な生徒にしかできないなんて声が聞こえてきそうですが、
出来不出来の差はあるにせよ、
「自らの課題を自らのペースで解決していく。」
ことはほとんどの人にできることであり、
身に付けたい能力ではないかと感じています。
学校の場合は、成績で競ったり、出来不出来に関係なく授業が進行してしまうので、
「自らの課題を自らのペースで解決していく。」
ことはかなり難しい。
しかし、出来不出来の差があるというのは、
自らの課題から目を背ける理由にも、学習を進めるのをやめる理由にはなりません。
私たちが一緒に向かっていくべき方向は、
教室に閉じ込めて学習をさせることではなく、
生徒が自分の課題を発見することや、その課題への向き合い方などを共に探して姿勢ではないでしょうか。
[部活動]
部活動も根本的な考え方は学習面と変わりません。
部活動はこれまで何度も書いていることですが、
「活動の意思のある者が活動する。」
と考えています。
しかし、
活動再開の条件として、
「活動は希望者のみとして・・・」という文言がありました。
コロナウィルスの影響を考え、参加を希望しない生徒に参加を強制させないよう注意喚起をする文言だとは思います。
しかし、日常的に、
「活動の意思のある者が活動する。」
が守られていないからこういう文章が出てきてしまう。
[オンラインなど多様な手段による可能性]
学習は学習者自身に主導権があるという感覚があれば、
オンラインでも、郵送でも様々な可能性が広がります。
逆に、
・全員に一斉授業をきかせなければならない。
・聞いていたかどうかを確認するためにレポートを提出させる。
等々の感覚をこちら側が持っていれば、どんな便利な手段も意味を為しません。
[まとめ]
「コロナウィルスの影響で・・・」と言いますが、こちら側が変化しないと決め込んで勝手に困っているという構図もあると思います。
働き方・学び方がこれまでの感覚・前提では対応できなくなってきている。
方法・手段ではなくをいかすも殺すも、こちら側の感覚と前提なのではないかと感じます。