このブログについて
- ・ブログ概要 2025.11.3 現在
ブログ管理者プロフィール
https://www.facebook.com/ryo.nishio.90
教員をしながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰。
https://www.facebook.com/kyoshizyuku
読書記録
ブログのこれまでとこれからについて
本ブログは2016.12.4にスタート。
社会人3年目に始めました。読み返すと表現を直したい記事が多々あります。また数年経てば、今の記事もそう感じるのでしょうか。
・カテゴリー説明
ブログトップページから、カテゴリー別に記事が見られます。
1. 教師塾 (職場外の学び合い・場づくり・交流活動)
2016年に活動を始めました。こちらが活動理念です。
私は高校教員として働いています。
学校内にいる時間が多く、学校外社会との感覚の差が開く危機感が今なおあります。
教員も学外で社会(教員以外の人)との関わりを持ち、学校内だけ使えるスキルや考え方だけでなく、一人の人間として学ぶべき領域を模索し、様々な立場の方と交流しています。
学習・交流会は30回を数えました。楽しみながら、日常生活に変化があればと活動中です。
2. 学校
校内の教員と、一人の人間の間を揺れ動きながら書いています。
書いたことは校内でやり切ります。
職場での日常から、部活動やクラス通信もこのカテゴリーに含まれます。
3. 2023年4月から2024年3月の育児休業記録
1年間の育児休業(ワンオペ)を取得させて頂きました。
楽しいだけの時間ではありませんでしたが、貴重な体験ができました。
4. 家族
育児や家族の日常について書いています。
5. 寺子屋塾 中村教室
学びのメインツールの一つである「らくだメソッド」を毎日取り組んでいました。
(現在、休会中)
通塾は原則週に一度で、教材を持ち帰って自宅で学習します。
この塾は、何を学ぶかは塾生によって様々です。塾が用意する学びのツールから得られる学びやと、その学習から表出+自覚する課題は人それぞれ違うからです。 「自ら学ぶ。」ことを一から体験してきました。
寺子屋塾では「日常が本番」が大切な意識の一つです。職場で学生が、「自ら学ぶ」ための私の役割を日々維新しています。
寺子屋塾の学びのツールの一つである、「未来デザイン考程」という思考フレームを身につけるワークショップの振り返りもこのカテゴリに含まれています。
子と父 part1
子は「ありがとう」をよく言う。
子からのありがとうは嬉しい。
父はというと、「ありがとう」をはじめ、褒められると照れてしまう。特に好きな人、大切な仲間から、自分が大切にしたいことや、頑張ったことを褒められると途端にダメになる。
「いやいやいや!そんなことは、、、」
てな感じだ。
謙虚でいたいが強く、卑屈になってしまう。
まずは、何か自分にコメントをくれた方へ意識を向けたい。せっかく、興味をもってくれたのだから。そこへの大きな感謝・嬉しさを先に伝えられるようになりたい。
卑屈の発動条件は、おそらく過剰な自意識だ。
「ありがとう・凄い」が言われるような自分だろうか?!が先にきている。
子を見習い、まずは相手に「ありがとう」を。
ジャンプ漫画の「ワンピース」に出てくるトニートニーチョッパーは、褒められた時の反応が面白い。
褒められても嬉しくないと言葉で入っているが、めちゃくちゃ喜んでいる。
チョッパーや息子に学んでみようと思う。
project : ZENKAI
↓詳細インスタグラム
https://www.instagram.com/project_zenkai_pr?igsh=czZ1MDd3ank4ZXkw
↓LINEもあるよ!

(私の周りにいる)15歳から18歳の方々へ
また、周りに↑の方がいる方へ
皆さん、周りの人と自分の価値観について話すことありますか?このプログラムは最初からすごい人たちが集まる場所ではないです。お互いの価値観や可能性について恥ずかしがりながら、考えたり、チャレンジできたりする場所です。(強要はされないです。でもやりたくなってきてしまう場所である気はします。)
結果的に可能性に気づいて、チャレンジしちゃうようになった大人と、ちょっと年上の人たちが仲間になります。ビビりながらも新たな一歩を共に踏み出そうとする人たちが集まる場所です。
人に出会うことはとても緊張するし、新たな価値観に出会うと迷います。
「僕は、私は受け入れられるのか?」
「みんなすごい人なんじゃないか?」
「場違いなんじゃ?」
いやそうなんだけど。
この情報に辿り着いて、1mmでも意識が向いたあなたにこそのプログラムです。
多分みんなちょっとビビりながら集まります。
私はこのプロジェクトに関わりたいって伝える時は相当ビビりました。自分の培えていると信じたい力を誰かにためになるか、役に立つか分からなかったからです。
でも、やってみないと分からない。
あなたです。一緒にどうですか。
興味が出たら是非、声をかけて下さい。
誰にでも、どこにでも説明にいきます!
特に校内で私を知る人!進路が決まった人も決まってない人も!ぜひ!
おとうさんのえほん
1学期の5月末に修学旅行の引率をしました。
本校では3年次に修学旅行に行きます。
昨年度、現3年生が2年生の時に、あるクラスの担任をしていたのもあり、声をかけて頂きました。子どもは3歳。育児による部分休業制度を利用していました。パートナーには3日間完全ワンオペでしたが、何とかお互いに乗り切ってもらい頭が上がりません。
自由散策時間は子とパートナーへ良き土産はないかと色々と足を運びました。
長崎市内の自由散策時に、こちらへフラッと立ち寄りました。
1階が絵本売り場、2階が絵本の美術館になっています。素敵な場所でした。
子の土産に絵本を選ぶことに。
すると、「お父さん」にまつわる絵本のコーナーが作ってありました。
ハッとしましたが、比較すれば、子どもと共に出てくる親は母が多いだろうし、母自体をモチーフにした絵本が多めなのは、この国の絵本会では自然なのかもしれません。
このコーナーを見た時には、寂しさと同時にコーナーに対する感謝と嬉しさが湧き上がり不思議な気持ちになりました。
そんな中、選んだ本はこちらです。

theですね。笑
買って帰り、夜の寝かしつけ絵本を待たずに一緒に読みました。
しかし、、、、何と子はこの絵本を2度と読んでおりません。
理由はこちら。

4ページにわたって、鬼のお面をしたひつじのお父さんが登場するのです。
節分もあって、1年ほど前のひどいイヤイヤ期に、鬼の面(怖め)のA4に印刷しておどかしたことがありました。
可愛めの鬼の面に見えますが、全くダメで、この本が目に入るだけで怖がってしまう始末。
修学旅行中に思いを巡らし、良き本屋と父に嬉しい本のコーナーに出会えた喜びを噛み締め、楽しく子と本を一緒に読む時間を頭に浮かべへとへとで帰宅するも、お蔵入りとなってしまった悲しい父と"おとうさんのえほん"の話でした。笑
イヤイヤ期がしんどいとはいえ、鬼を持ち出し子どもをビビらせすぎるのも、言うことを聞かせるために鬼を使いすぎるのも程々にしようと思ったのでした。
哲学対話 × どんな人とも × QUEST「質問」の哲学 part4
8/2(日)に哲学対話というワークショップを一宮市民活動支援センターにて行います。
哲学対話とは?
treasure-temper-102.notion.site
教師塾とは?
こちらのページは活動理念です。
treasure-temper-102.notion.sit
本ブログにて「教師塾」と調べて頂くか、Facebookのページもご覧頂くと、活動の雰囲気やイメージが掴みやすいかと思います。
さて、学校の先生とそうでない人との繋がりの場として、教師塾の活動を続けてきました。
そして哲学対話ワークショップに出会い、学校(職場)内外コツコツと続けています。
哲学対話のルールとして、
・何を言ってもいい・何を聞いてもいい
・聞かれても答えなくていい
・聞かれてなくても話していい
・聞いているだけでもいい
・問いかけるように心がける
・知識ではなく、(あなたの)経験に即して話す。
・話がまとまらなくても、分からなくなっても、意見が変わってもいい。
・人の意見に否定的な態度を取らない。
があります。
その中でも、・問いかけるように心がけるが最も重要で難しい部分です。
問いに焦点を絞った、以下の本の読書記録を書いています。
p.176
第2章 質問の態度
観察と解釈の違い
・「何もしない」ことをする
中国古来の宗教である道教には「無為」と呼ばれる概念がある。
大雑把に訳すと、無為とは「“何もしない”ことをすること」である。
無為は、「何もしないこと」と混同されがちだ。何もしないこととは、ただ受け身でいて、自分から何も行動を起こさないことだ。
だが、無為はそうではない。道教の指導者レイノウド・エレヴェルドが説明するように、無為の実践は、何もしないこととは違う。
ただ行動を避けていれば、何も起こらない。そこには技法と呼ばれる何かは存在しない。
一方の無為では、「何もしない」ことも一つの行動と見る。
無為の核心は、エゴの干渉を受けずに行動することだ。
言い換えれば、自分自身を意識することなく何かをすること。それは、自然の本能や美徳、知恵から生まれた純粋な行動だ。
重要な場面でエゴが関与しないからこそ、何もしないことが技法になる。エゴはただ行動を見守っているだけで、介入しようとはしない。それが無為の境地なのである。
哲学対話を行うときには、ルールと対話の進め方を説明をする。
ルールは上記の通りである。
私の主催する対話では、
・他者が話しているときは聞くことに徹する。
=(コミュニティボールを持っている人だけが話す。)
・話したくなったタイミングで挙手 ※話している人の途中でも挙手OK
・話し終わった人が次の話す人を決める。ので、
挙手があっても最後まで話してもいい。
途中で話すのをやめ、挙手した人に話してもらってもいい。
挙手した人は譲り合わなくていい。
・沈黙OK コミュニティボールを持った人が話し終わっても、無理に質問したり、意見を求めたり、話を振ったりしなくていい。(そうしたければOK)
・発言権=質問権
挙手して人に質問してもいい。
もちろん、その人は答えても、答えなくても大丈夫。
としている。
この中には、「沈黙OK」がある。話終わった後に、誰も反応せず沈黙が流れることがしばしばある。
日常のコミュニケーションにおいて、沈黙が長くあればお互いに気まずくなり、思ってもないことを口ばっしたり、無理やり話を変えたりすることがあるかもしれない。
引用内容には
無為の核心は、エゴの干渉を受けずに行動することだ。
言い換えれば、自分自身を意識することなく何かをすること。それは、自然の本能や美徳、知恵から生まれた純粋な行動だ。
とある。
対話の中でいえば、問いたい時に問い、語りたい時に語る。聴きたいことを聴き、考えたい時に考えればいい。(と思うのだが、解釈にブレはないだろうか。)
コミュニケーションにおいて、沈黙はNGとされることが多いが、ルールに則って、自然の本能のままにコミュニケーションを取れば、沈黙も自然な時間だと言えるだろう。
