誰かに用意された”やるべきこと”と、
自分で導いた(決めた・始めてみた)”やるべきこと”の違いは大きい。
誰かに用意される”やるべきこと”のボリュームは人それぞれ。
私自身、公務員であり、日々”やるべきこと”とは向き合いつつ、自分で決めた”やるべきこと”もある。
自分で決めた”やるべきこと”と長く向き合うと、やらないと落ち着かない。
楽しいことをしていても、
自分で決めた”やるべきこと”ができていないと”やるべきこと”が頭をよぎる。
何だかそれは不健康そうだが、自分が決めた”やるべきこと”はこの先の自分の在り方に日々変化をもたらす可能性のあることだから、その一歩が進めているかは今の自分のバロメータになる。
誰かが決めた”やるべきこと”が、自分の決めた”やるべきこと”を押し退けさせようとしていないか。カラダはついてきているか。ココロはついてきているか。今を楽しめているか。などを知る手がかりになる。
過去のなりたい自分像に今なれているかはわからない。
すごくなれていたとしても、過去の自分のなりたい像は、今の自分を受け入れることにはならない。
ちょびっとずつ変化するチャンスが毎日、一週間、1月単位で決まっているとしたら、あるスパンの中で自分が満足するくらい変化できたか。これを把握すると、自分の思い描いた自分への変化度を把握できる。
成長したい、変わりたい方向が自分でわかって、自分で舵を切って、そんな1日を過ごして、自分で満足できれば文句はない。
その過程は簡単ではないけど、(もはや修行)爆発的な才能がなくても、なりたい自分になるには、自分で決めた”やるべきこと”をコツコツやること。
”やるべきこと”を自分でどれくらい決めるかのバランスは人それぞれ。
もちろん、自分で決めたことをしなくたって、自分は変化するけど、自分で変化させられた自分に気がつけたら面白いし嬉しいと私は思う。