Googleで習慣と調べてみると、
「ある事が繰り返し行われた結果、その事がしきたりになること。」
ここでは後天的につける習慣について考えてみ。
・「習慣がある。」とは?
「読書が習慣である。」とはどんな状況だろう。
例えばAさんが「1日30分の読書」を自分で課したとする。
Aさんは自分で決めた日から1年間「1日30分の読書」を昨日までしているが
今日はしていないAさんには習慣があるだろうか?
条件によって習慣の有無ははっきり分けられないが、
この例で言えば、「自分で決めた日から1年間「1日30分の読書」を昨日までは行っている。」という事実はある。
・習慣は結果。
習慣は結果であるので、習慣をつけようと頑張る必要はない。
ただ、自分の決めたこと、決めたスパンで淡々とやる。
これの積み重ねが結果として習慣と呼ばれる。
実際に自分の決めたことを、決めたスパンで淡々とやろうとすると、習慣の有無に気が向かなくなってくる。
・習慣の有無に一喜一憂するのは過去と未来に気を取られている。
これまでやってきたし、これからもやれるから自分には習慣がある。と思うのは自由だが、やってきたこと、これからやることは、今ここには存在しない。
今、今日やることをやる。
・目的と前提の違い
後天的に習慣をつける前段階には目的があることが多いと思う。
目標・目的を達成するための手段として何かを習慣化するにしても、自分で決めたことを、決めたスパンで淡々とやることは、目的ではなく前提となる。
ただ、目的の有無に関わらず習慣はつけられる。
大いなるどんな目的があっても、なくても何かを習慣化する時にやることは大きく変わらない。
もちろんモチベーションは大切だが、モチベーションに頼らずに日々、自分と向き合うことは簡単ではないが、副産物が大きかったりする。
・習慣の難易度
人によって習慣には難易度がある。
本を読むことが苦手意識があるあればチャレンジすべきだ。
「あぁ、トリプルアクセルが苦手だ、、、。」
と苦手意識を持ちながら生活している人を何人も見ることがないように、
苦手なことは、自分で認識している中で出来るようになりたいと思っている事柄だから。
そして、あんまり簡単すぎてもすぐに習慣化できてしまう。
・やる前とやっている最中の意味の違い
一見、その習慣に意味はあるのか?と思うものもあるかも知れない。
しかし、
「毎日やらないとそのことに意味があるかないか証明ができない。」のは事実だし、
「同じことをやっていても人によって感じ方が違う。」ので、
毎日コツコツが苦手だ、、、という人こそ取り組んでみると、当初得ようと思ったこと以外のことにたくさん気づけると思う。
私のお世話になった居酒屋の店長はオープン前や、2回転目(17:00オープンなら、1次会の終わり20:00くらいからの時間)の時間に店の裏のドアを開けて駅を眺めるという習慣があった。
時期(暦)や肌感や目視で感じるもので、この後の仕込みやバイトの数、他店へスタッフを回すか、戻すかを判断していると聞いたことがある。
その行動は、ただドアを開けて外を見るだけだ。しかし、その定点から同じタイミングに多様な着眼点を持ちながらある行動をとるのは意味があるのかもしれない。(店長にしかわかりえない。)
・淡々と決めてやると必ず自分と向き合うことになる。
何かをやるには量・質・時間などの基準や要素がある。
自分が納得する基準作りもまた、自分と向き合う上では重要な要素だ。
これまでの生活の中に、何かの習慣を取り入れるには、時間をつくる必要がある。
時間をつくるだけでなく、そのことをやりきるコンディションを整える(余裕が)必要だ。
何か一つのことをコツコツやろうとする営みの中で内容、質、時間、時期を考慮できるようになってくる。
これは、仕事にも役に立つ。
また、土日をどれくらい休み、どれくらいアクティブに楽しむか。
この時期の自分はどんな状況だろうか?と予測がたつようになってくる。
日々,自分と向き合うことには、習慣をつけること以上の意味がある。(と感じている。)
・誰かと取り組みを共有すること。
1人ではなかなか続けられない。“できない“体験は1人で抱え込むと“やりたくない”に変化してしまうが、“できない”を共有して自分だけじゃないことを確かめることで、自分が特別にできない特性がある人間じゃないことに気づける。後天的に習慣をつける能力は、先天的に備わっていない能力だと思う。誰もが一度は、続けることの難しさを感じたことがあるように思う。(私もその1人。)
・習慣を言い換えてみると
習慣は、
「ある事が繰り返し行われた結果、その事がしきたりになること。」
だった。
そこに自分なりに肉付けをしてみる。
習慣をつけようとする営みの中で、(日々の取り組みを積み重ねること)で、狙っていたなりたい自分になれるかもしれないし、なる予定のなかった新たな自分になれるかもしれない。
やってみないことには、新たな自分は顔を出さない。
日々、自分で自分の決めた通りに自分に動いてもらう(ように仕向ける)。
ってことは、
自分で自分のイメージ通りに自分を成長させることに近い。
「これはある程度できるなっ。」と思えるということ。また精度が良くなるのは、
ある程度の未来の自分を想像して、そこに自分を近づけることができるという自覚が生まれるということ。
自分のイメージした自分にならなかったとしても、これまでと違った自分にはなれる。
それは面白いことだし、これまでの自分のなりたい像なんて実は大したことはなくて、もっと違う想像以上の自分になれる可能性まである。(途中で自分のへぼさに嫌になる時もある。)
・書いてみて
私は1年ほど前まではコツコツとブログを更新しておりました。
最近は書いていないので習慣について気軽に書いてみようと思ったらこのボリュームになってしまいました。
習慣について書いたとなれば、習慣について習慣を通して学んでいる場についても紹介させて頂きます。
数年通っている寺子屋中村教室では、習慣との関わり方を今でも学び続けています。
長い記事を読んでくださり、ありがとうございました。