gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

やっていないと言えないこと

私は今までに、
「あなたができないのに(誰かに)言えないでしょう。」だったり、
「あなたがやってないのに(誰かに)言えないでしょう。」と、
諸先輩方に言われることが多かったように思う。
それは、高校時代に2年間キャプテンをやらせてもらったことや、高校教諭という職業柄もあるのだろう。

[高校時代]
「あなたができないのに(誰かに)言えないでしょう。」というのは当時、辛く感じた。
要するに、「下手なお前に言われたくないわい。」ということだ。
能力的な問題で口を出せないのは辛く感じていた。
この問題のそもそもの原因は、人間関係の築き方だろう。
出来る・できないという能力でしか人を見ていない感覚が自分にあった。
3年生になるタイミングで監督が代わり、新監督の提案でキャプテンの変更に至ったわけだが今では、そうなってもおかしくなく、私にとっては大きな転機だったと思っている。

[教員になり、今日まで]
教員になると、
「あなたがやっていないのに(誰かに)言えないでしょう。」と言われるようになった。
これにはある意味納得していたが、最近、認識が変わってきた。
教員になってすぐの認識では、
「あなたが(辛い努力を)やっていないのに(生徒にやれと)言えないでしょう。」
という認識だった。
しかし、今の私の認識は、
「あなたがやっていないのに(やり続けていないのに)、やっている(やり続けている)人の感覚がわからないから何かを言ってあげられないでしょう。」
に変化してきている。
まず、やるかどうかはその人の自由だ。
ただ、その人が必要になったときに、自分がやっていなければ力になれない。

バレーボール部顧問をさせて頂いているが、
自分が選手より能力が高いことなんてほぼない。私に実績も経験もない。
でも何も言えないわけじゃない。
レーニングは自分なりにやり続けられる。
マネジメント論も学び続けられる。
強豪校や実業団のYOUTUBEは見続けられる。
“自分なりに”やれることはある。
変化し続ける人と関わっていくには、コツコツと自分なりに自分が変化し続けることだと思う。

 

まとめ

言いたいからやるというのは違う。偉そうにしたいらやるというのも違う。目の前にいる人の力になるにはそうするしかないからやる。くらいかなと思う。