職場の学校には、様々な国を母国とする生徒がいる。
様々な母国で育った親御さんをもつ日本生まれの生徒もいるだろう。
容姿も様々で、日本語の習熟度もみな違う。
夏になるとサッカー部、野球部、ラグビー部、テニス部は肌が日焼けで真っ黒になる。
野球部は髪型も同じなので、夜になるとお互いわかりずらいと言っている。笑
使える言葉は少なくても、細かいニュアンスを伝えることが上手な子もいるし、漢字のテストがいつも満点でも、伝え合うことが苦手であることを自覚している生徒もいる。
私があまり関わりのない生徒は、「生徒」と捉えることになる。
関われば関わるほど、その人を個人として捉えることができるようになる。
最近までは以上のことはあまり意識されずにいた。
気づかせてくれたのは、コンビニで働く店員さん。
見た目と短時間の対応なので、想像の話だが、対応してくれた店員さんはこれまで諸外国で多くの時間を過ごしてきたであろう人だった。
私はファミマの豚まんが好きなのだが、1/3の確立で豚まんではない、ピザまんやチャーシューマンや肉まんを入っていることがあった。
あんまんじゃないだけましだが、気づいてから数秒の残念感はいなめない。笑
(チャーシューマンは美味しかったので問題なし。)
僕の豚まんのためにも、ちゃんと仕事をしてほしいなぁと思ったわけだが、私の内省すべき点は、仕事の具合に出身国は関係ないということだ。
生徒と関わるときにほとんど意識しなかった出身国の違い。
無意識のカテゴライズ(個の集団化)はしたくない。