gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

社会へ石をぶん投げる

”社会”という言葉はとても広範囲なので、

この記事でいう”社会”という言葉は、

「自分以外のもの・こととの繋がり」

というようなイメージを持って欲しい。

 

人によって社会とのつながりは様々だ。

生まれてずっと「人間」と接せずにジャングルで育ったターザンは、街や、車という概念を持たない。

学生の頃に碧南市に名古屋の友人を呼んで、自分の出場する野球の試合を観戦してもらったことがある。

すると、グラウンドに来るまでに、

「真ん中に線のない道路がありすぎる!!」

と驚かれた。笑

名古屋で住む時間が長く、車にあまり乗らずにその地域から出なかったのだろう。

家から出ない生活スタイルの人はネットやTV画面が社会とのつながりとなる。

仕事が生きがいで、会社と家を往復する生活が長ければ、接する人がほとんど”仕事をしている人”になる。

私の社会像に影響を強く与えるのは目の前の子どもたちだろう。

生活スタイルによって、接する人や受け取る情報によって、”社会”という言葉のイメージは人の数だけ存在する。

 

人は社会と何らかの関わりを持ちながら生きていかざる得ない。

道に落ちているゴミを拾うことから、マスクを全世帯に届けるという決断まで様々な社会への影響の与え方がある。

ゴミを拾うことが社会に影響なんて、、、と思うかもしれない。

社会に関わることを影響の大きさで判断しすぎるのには疑問が残る。

まず自分が自分を認めてあげられることを基準とする。

そして、(誰も知ってくれなくても)それを知った多くの人があなたを認めてくれるだろう基準で社会と関わりたい。

それが結果的に目の前に人が喜んでもらえれば御の字だろう。

 

どんな形であれ、

「自分の行動が社会へ一石を投じた。(影響が表出しなくても。)」

と感じられることが、私たちの行動基準を変えていくことになるのではないかと思う。

 

写真は、生徒がせっかくくれたのに期限を切らしてしまったたこ焼き引換券。

話の内容が堅いので載せてみます。(関係ない写真シリーズ。)

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