学習へどうしても取り組めない。
カラダが動かないという生徒さんの話を聞いた。
その中で思ったことを書こうと思う。
その生徒さんは自分で取り組むことが学習を進める第一歩であることは感じている状態。
学習に対して試行錯誤し、自らと向き合い、ペーパーテストの点数も上がっている。
しかし、自分の意識と行動が一致しないことに苦しさを感じているようだった。
彼を見て、今までの環境による"勉強"に対する無意識領域の刷り込みがあるように感じた。
(誰かが悪い・学校が悪いとかが言いたいのではない。)
なぜ?と考える前から、
学校へはいくものであるという前提が大きく横たわっている。
教室に人を集めて、
時間割という時間的拘束、
授業規律という方法的・身体的拘束、
批評家者という精神的拘束を受け続ければ、
カラダがう動きにくくなるのも無理はないのかなと思う。
体も心も大きく不安定ではない状態で
勉強をしよーとか、したくないとか思考せず、
当たり前のようにカラダが動き、学習に向かう状態があってもいいはずだと思う。
(私にとってはこれが理想なのかもしれない。)
ふら〜っと、ボケーっとスマホをいじるように教科書を読んだって何ら不思議ではないはずなのに、
授業や学校以外で、これをするにはエネルギーが必要(な気がしている。)
この不思議な学習への大きな壁がなぜできるのか?
どうできてしまうのかを、学校にいる生徒さんも教員も見てみようとして欲しいと思う。