合わせて読んでほしい記事です。
今年度の授業では、授業のほとんどの時間を自習に充てている。
ある期間ごとに確認テストを行い、単位取得及び進級に必要な点数をラインとして、その点数に満たなかった場合は私と学習の相談を行っている。
この学習相談は、その学習者の盲点を対話を通して見つける役割を似合う。
学習を行うことを前提に、その手段や日時、場所を生徒が決めている。決して私が何かを指示することはない。それもあってか、勉強をしないと言い切る生徒はいない。
ここで初めて生徒は自分の状況を自分で見つめようとする。
自分と相談し、自分との約束をする。
自分で学校に残ると決めて学習を行うと私に質問もほとんどなく、確認テストもできてしまうことが多い。
自習を行いやすい環境を整えても、講義形式・次週形式(選べるようになっている)のどちらで授業を受けても、自分の学習次第であることに気づけても、なかなかカラダは動かないようだ。
アタマでわかったと判断しても、カラダが動いていなかったらそれはわかっていないのだ。
自習をしていれば、右から上がりに勝手に自習が出来るようにはならない。
その学習者の無意識下にある課題に気づけるように対話や事実ベースの情報を確認する必要がある。
直接的な表現で伝えてしまってはは”指摘”になる。
指摘せず、指示せず、生徒の無自覚下にある課題に自分で気づけるような関わりと対話を教材を通して行っていく。
これが私の役割なのだろう。