gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

進路 part2

 gt-24o.hatenablog.jp

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2年前に担任をさせてもらった発達障害の診断をされている子の進路がきまりました。

他のクラスではありますが、1年目の記録を現担任の先生と共有してきたこともあり、その先生が、いの一番に私のところへ報告にきてくれました。

私自身もとても嬉しかったです。

それでも、手放しに喜びきれなかったのは、

「○○君の受け入れてくれる社会(会社)があった・・・良かった・・・」

という報告にきてくれた先生の言葉でした。

僕もよかったと思ったんです。

マイナスな気持ちはなかったんですが、でも、なんだか。

このもやもやを言葉にしていこうと思います。

 

学校は学び手にとって苦になりくい場所であってほしいと思っています。

学校での在るべき立ち振る舞いとやらが、学び手を苦しめるのは見るにたえません。

 

「学校に順応する。」とか、「社会に順応する。」

ということが、

「ある集団に集まる一人ひとりが相互に生かし合いながら循環する社会の一員になるためのトレーニング。」

というようなニュアンスであれば、

私は学校に順応するためにやれることはやりたい。

そこに集まる人が変われば、その場の在り方や形が変わっていくようなイメージをもっています。

 

しかし、今の職場は、

学校が学校であるために人が動いているような印象を受けています。

 

それが、会社にあてはめられることがないかな?ともやもやしたのでしょう。

私はまだ、2種類の工業高校でしか働いたことがありません。

バイトなどもありますが、責任ある立場で過ごしたのは学校だけと言っていいでしょう。

会社は星の数ほどあるので、彼がどんな価値観のある集団のもとで働くかはわかりません。

私のもやもやも考え過ぎかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。

 

まずはみんなの門出を祝おうと思います。