↑昨年の今日の記事。
学校(職場)での授業の在り方?
否、学習者、子ども、人がそもそも持っているだろう権利について書いてある。
当時は、自分の目の前以外の環境にも変化が起きればと考えていた。
今年に入って、
こうなればいいなあ〜
とか、
こうすればいいのに!
という文章が減ったように思う。
昨年の記事に書いてあるような場を作るには、
自分と接する人に、
自分の言葉で語り、
語ったことを自らが体現していくことだろう。
言葉にする具合や体現具合は、子ども・職員を含めた全ての人が傷つかない程度が大切だと思っている。
私の中にあるバランスがは全ての人に当てはまるものではない。
でも、私だから出せるバランスでもある。
いろんなバランスが集まるのが学校であり集団だろう。
どれだけ考え、努力していると思っていても、
自分のバランスが、その環境のバランスと一致していると思いはじめた時が崩れ始めであるとも思う。
バランスは取り続けてこそのバランスなのかもしれない。