3年前から数人の先生と授業を見学し合い、振り返り会を行う時間をとっている。
先週、職場にて昨年・今年ともに担任学年の授業を見てもらった。
この機会に担任学年の彼らと作り上げてきた3年間の授業について振り返りを行おうと思う。
こちらのコンテンツを使って授業を行った。
https://arrowsinc.com/business/sensei-yononakagaku
今更ながら学校が民間企業といかに連携するかを考える機会になった。
振り返り会で印象に残った意見は、
「怒りやパワーで押さえ込もうとする動きが全くの0だった。安心・安全な場になっている。」
だ。
理由は、自分にとっては当たり前のことでその視点がなかったからだ。
授業に出るか、何を学ぶか、どんな時間にするかは学習者が決めること。
学習における責任を少しずつ自分で握ろうとしていくのを見届けたいとおもっている。
この本はイメージしやすいかも。↓
「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる
- 作者: ダグラスフィッシャー,ナンシーフレイ,Douglas B. Fisher,Nancy E. Frey,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2017/11/17
- メディア: 単行本
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こちら側が主導権を握り、学びの責任をこちら側が負った授業での学習者の学習量と、
学びの責任を学習者へ渡しての学習者の学習量は、同じ人間であれば実質ほとんど変わらないと感じている。
後者の方が、学習者と対等な関係でいられているし、安全・安心な場に近づきやすいと感じる。また、実質的な学習量が変わらないのであれば、自らの力で学習を進められるという実感をしやすい後者の方が私は好きだ。
では安心・安全な場だけで人は成長しようとするか?
という点では、こちらの本の、
働く大人のための「学び」の教科書 の中に書かれています、
(下記画像は読書記録のスクリーンショット)
③にあるように、「緊張屋さん」も必要です。
また、”学習するには他者が必要である”とある。
私の授業には、この「緊張屋さん」と”学習を行うための他者”が欠け気味である自己分析しました。
「安心屋さん」と「緊張屋さん」というのは、(教員などの)人でないといけないわけではない。
場を作る私自身は「安心屋さん」でありたい。
その中で、学習の成果を発表する場をつくることなどで「緊張屋さん」を用意することもできそうです。
まだやれることがありそうです。