gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

やらないという自由と同意

授業を受けないという自由

意見に対して、批判的な気持ちになる自由

意見に対して、批判的な意見をいう自由

その人の話を聞かないという自由

当てられて、当てないでくださいという自由

席につかない自由

自分の気持ちいう自由

自分の気持ちを言わない自由

授業方法のを授業を行う者に提案をする自由

掃除をしない自由

お手洗いに行くために後ろの扉から静かに退室して行く自由

寝る自由

 

前提として、

時間割、学習環境、共同学習者、学習担当者、進度などもあらかじめ決められている。

これらの条件下で学習者がどう感じ、どう行動をするか(上記の自由の行使する権利)にも制限があるとなれば息苦しいだろう。

 

上記の自由を行使することについてはなぜだが、いまいちよろしくない雰囲気がある。

 

反対意見として、

「これらを許していいわけがない。」

「学習させなければならない。」

ということがあるかもしれない。

 

しかし、これらの意見に対して。

私が思うに、これらの行動を禁止するしないをこちらが決めることではないと思う。

行動の責任は全て、本人のものだからだ。

自由にさせてあげたほうが良い。ということでなくて、

まずは選べばいい。

選ぶのが嫌ならこちらが決めてあげてもいい。

(どちらでもいいという自由の保障)

 

そして、学習者が選択し、その選択に対して責任を持つ。

言動、行動にこちらがジャッジをせず、

言動、行動に質問を投げかけていけばいい。

対話を通して、お互いに同意を取るっていく。

その同意を学習者、学習担当者が守っていく。

こうやって一つ、一つ選んでいくところを見守れればいいのになと思う。

 

おわり