gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

思考の蟠りを解きほぐす No.5

3/1 (土) 9:00~12:00 一宮市民活動センターにおいて、哲学対話をメインプログラムとするイベントを行います。

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哲学対話は「考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門」に登場する対話手法です。

www.u-tokyo.ac.j

こちらのサイトは著者の梶谷真司さんが本書へ向けたコメントも掲載されています。

 

3/1 (土)のイベントに向けて、本書の内容を引用しつつ、哲学対話とは何か、考えるとは何かを再考しながら紹介します。

また、これまで実施した哲学対話における記事も紹介していきます。

 

3/1(土)の対話イベントに向けた記事一覧 | Notion

 

No.5

はじめに

「考えること」と「自由になること」

その大切なものとは「自由」である。私たちは考えることによってはじめて自由になれる。

考えることは、自分を縛りつけるさまざまな制約から自らを解き放つことである。

世の中のルール、家庭や学校、会社での人間関係、常識や慣習、自分自身の思い込み、さまざまな恐れや怒り、こだわりから、ほんの少しであっても距離をとることができる。それが私たちの生に自由の余地を与える。私たちが考えるのは、考えなければならないのは、私たちにとってもっとも大切な自由を得るためである。

中略

私が「考えること」を通して手に入れる自由を強調するのは、① 現実の生活の中では、そうした自由がほとんど許容されていないからであり、しかもそれは、まさに考えることを許さない、考えないように仕向ける力が世の中のいたるところに働いているからである。だから、自由になるためには、「考えること」としての哲学が必要なのである。

そんなことができるのかと思うかもしれない。たしかにただやみくもに考えればいいわけではない。一人だけで頑張っても、途中で力尽きるだけだろう。 しかし、共に考える「対話」としての哲学には、それが可能なのである。しかもそこでは、②一人で勝手に自由になるのではなく、他の人といっしょに自由になることができるのだ。
 

コメント

①について

これまで生活してきた中で、何のしがらみもなく、立場も役割もキャラクターも無しにして考える場所がないとも言えます。

ともなると、人はどうなるでしょうか。自分の中で湧き出た最初の気持ちや意見を出せないことが長く続くとすると、、、Xやスレッズに書き殴るのでしょうか。

または、考えることをやめ、感じることをやめるのでしょうか。

どちらも私としては、健康的でない気がします。

幸い、このような活動をしていく上で、自分の熱量や関心事を共に語る仲間ができました。

哲学対話の場がそんな仲間を作り合える場になればとも思っています

 

②について

まさしく、若かりし頃の私に、そして今も教訓となっています。

一人で勝手に自由になるのが良いか、他の人といっしょに自由になるのがいいかを考えて欲しいです。私はぜひ、みなさんと共に対話を通して新たな価値観の共有を経て、思考の蟠りを少しずつ解きほぐしたいです。