gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

0歳からの哲学? No.1

3/1 (土) 9:00~12:00 一宮市民活動センターにおいて、哲学対話をメインプログラムとするイベントを行います。

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哲学対話は「考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門」に登場する対話手法です。

www.u-tokyo.ac.j

こちらのサイトは著者の梶谷真司さんが本書へ向けたコメントも掲載されています。

 

3/1 (土)のイベントに向けて、本書の内容を引用しつつ、哲学対話とは何か、考えるとは何かを再考しながら紹介します。

また、これまで実施した哲学対話における記事も紹介していきます。

 

3/1(土)の対話イベントに向けた記事一覧 | Notion

 

No.1

本書のサブタイトルは、"0歳から100歳までの哲学入門 "です。

本書を読む前は0歳?が哲学?と不思議に思いました。

以下引用文です。

はじめに

生まれてから死ぬまで p.6~7

もちろん生まれたばかりの赤ん坊にこの本を読んでほしいなどと乱暴なことは言わない。実際にこの本が読めるのは、中学生以上だろう。でも、「0歳から」というのは本気である。0歳の赤ん坊は、じゅうぶん哲学に貢献できるからだ。

子どもは生まれた直後から、親だけでなく、大人を哲学的にしてくれる。生命の不思議、命のか弱さと力強さを感じさせてくれる。社会性がまったく欠如した、いや、社会性を超えた存在として、私たちに常識の限界を知らしめてくれる。

圧倒的な弱さとかわいらしさによって、私たちを虜にし、どんなことがあっても守るべきものが何か、無償の愛の可能性がどんなものなのかを教えてくれる。あるいは、放置できない存在として、親に義務と責任の何たるかを問いかけ、厄介な重荷となって、親を精神的にも肉体的にも追い詰める。

そうやって私たちは、幼子からたえず問われ、試され、考えざるをえなくなる。自分という人間について、命の大切さと重苦しさについて、この世の規範と理不尽さについて。そうやって、私たちに問いかけ、哲学的な次元に引き入れてくれるという意味で、哲学は0歳から参加なのである。

 

本書を読み、哲学対話を校内外で行い始めたのは、子どもが産まれる前です。文章から得る感覚は同じ人が読んでも経験によって変わることもあります。ページ数はp.6~7。読み直し直後であることも相まって自身の変化に驚きました。他の本でも、このようなことがあると思うと読書が楽しみになりそうです。

 

子が教えてくれることはたくさんあります。

私は子は生物”ヒト”としての根底的な存在だと感じることが多いです。

(ヒトという生物は本来、そういう習性なのか、、、みたいな。我が子特有の習性もたくさんあるとは思うが。)

それゆえにわがままに見えるのだが、それだけ我々は後天的に莫大な情報を処理して、周りと折り合いをつけて生きているのだと感じます。

 

例えば、音楽のロックフェス。皆が同じリズムで手を前に突き出しながら”ノっている”あの姿。

あれをフェスの様子を子は見たことないのに、やってみたりします。

それをみると、リズムに乗るっていうのはヒトにとってあれがデフォルトなのか?

とか思ったります。

 

話が逸れましたが、3/1は子のコンディションが良く、行きたいと言えば共に参加します。

準備も進行も子がいればそれだけ進みません。

でも、それを理由に子を連れてこないとなると、皆さんもお子さんと参加できないと思います。

哲学対話については、0歳から100歳までの方と共にやります。

また紹介しますが、本書の中では、対話を深めるのは多様な人が集まることも条件の一つに挙げられています。

多様性を受け入れるなら我が子のわがままも、我が子と対等に意見をすり合わせながら、その時間を過ごすことが大切なのではと引用文章を読んで感じました。

 

ましてや、この場は市民活動です。

どんな市民も参加できなくてはいけないし、市民の皆さんでそんな場に作り上げていく必要があります。

お子さん連れで是非参加して下さい。

そして、会を皆さんで作り上げましょう。