100歳でも哲学? No.2
3/1 (土) 9:00~12:00 一宮市民活動センターにおいて、哲学対話をメインプログラムとするイベントを行います。
哲学対話は「考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門」に登場する対話手法です。
こちらのサイトは著者の梶谷真司さんが本書へ向けたコメントも掲載されています。
3/1 (土)のイベントに向けて、本書の内容を引用しつつ、哲学対話とは何か、考えるとは何かを再考しながら紹介します。
また、これまで実施した哲学対話における記事も紹介していきます。
3/1(土)の対話イベントに向けた記事一覧 | Notion
No.2
No.1では0歳の哲学参加について紹介した。
No.2では100歳の哲学参加について。
引用
年をとって物覚えも悪くなり、気力も衰えたのに、難しいことを考えるなんて勘弁してくれ!と思う人もいるだろう。
しかし老いもまた、人を哲学的にしてくれる。命の終わり、人生のはかなさ、むなしさを痛感させてくれる。抗っても確実に病み衰え、次第に社会から疎外され、忘れ去られていく。
増え続ける過去と減り続ける未来の中で、自分の成し遂げたこと、やり残したことを振り返る。最終的に人生を意味づけるのは何か、残すべきものは何か、体が動かなくなり、自分自身さえも忘れて、なお生きる意味は何か。自分が、家族が、社会が問われ、試されるー老いたからこそ考えなければならないことがたくさんある。
そうした問いもまた、深い哲学的次元をもっている。しかもそれは、年老いた人たちだけが思い悩むべき問いではない。子どもも若い人も、考えるべき問いである。そういう意味で人は、老いて動けなくなり、まともに話せなくなったとしても、赤ん坊と同じように、哲学に参加できるのである。
コメント
私は老いを感じ始めていますが、新たに学び高めていることもあり、失ったものと得るものにバランスがある感じがします。これまでの体験を教訓として経験に昇華できたことは、周りの方々に還元できている実感もあります。
年齢を重ねるごとにこのバランスも感じ方も違ってくるのでしょう。
”失う”って悲しい印象がありますが、失うことが初めてならそれも体験です。そしてその体験が誰かのためになれば、それは貴重な経験に昇華します。
3/1をはじめ、これから開いていく対話の場に、多様性ある参加者の方がこれまでの体験・経験を語ってくれると嬉しいなと思います。