3/1 (土) 9:00~12:00 一宮市民活動センターにおいて、哲学対話をメインプログラムとするイベントを行います。
哲学対話は「考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門」に登場する対話手法です。
こちらのサイトは著者の梶谷真司さんが本書へ向けたコメントも掲載されています。
3/1 (土)のイベントに向けて、本書の内容を引用しつつ、哲学対話とは何か、考えるとは何かを再考しながら紹介します。
また、これまで実施した哲学対話における記事も紹介していきます。
3/1(土)の対話イベントに向けた記事一覧 | Notion
No.4
p.15〜
はじめに
「考えること」と「自由になること」
その大切なものとは「自由」である。私たちは考えることによってはじめて自由になれる。
考えることは、自分を縛りつけるさまざまな制約から自らを解き放つことである。
世の中のルール、家庭や学校、会社での人間関係、常識や慣習、自分自身の思い込み、さまざまな恐れや怒り、こだわりから、ほんの少しであっても距離をとることができる。それが私たちの生に自由の余地を与える。私たちが考えるのは、考えなければならないのは、私たちにとってもっとも大切な自由を得るためである。
中略
私が「考えること」を通して手に入れる自由を強調するのは、現実の生活の中では、そうした自由がほとんど許容されていないからであり、しかもそれは、まさに考えることを許さない、考えないように仕向ける力が世の中のいたるところに働いているからである。だから、自由になるためには、「考えること」としての哲学が必要なのである。
そんなことができるのかと思うかもしれない。たしかにただやみくもに考えればいいわけではない。一人だけで頑張っても、途中で力尽きるだけだろう。 しかし、共に考える「対話」としての哲学には、それが可能なのである。しかもそこでは、一人で勝手に自由になるのではなく、他の人といっしょに自由になることができるのだ。
コメント
”ほんの少しであっても距離をとることができる。”
→この距離が私を多くの場面で助けてくれた。読書や新たに出会った方との対話などは、新たな価値観との出会いだ。多様な価値観に出会うほどに、多くの時間を過ごす職場や家庭・これまで既に出会った人との関わりに違和感が生まれることがある。これは新たなインプットによって自身の考えに変化があるからだ。
若かりし頃、職場では違和感が生まれたら、すぐに発言し、行動していた。発言と行動の方法は下手くそだったこともあり、当然揉めたり、煙たがられる。
何か自身の考え方に変容があったとしても、その考え方をどこでどんな形で表現するかは自分で選んでいい。
自分の考えとその他の環境で重視されることが違ってもそれはそれとしていい。それが"自由の余地"なのだろう。