gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

哲学対話 × どんな人とも × QUEST「質問」の哲学 part1

8/2(日)に哲学対話というワークショップを一宮市民活動支援センターにて行います。

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哲学対話とは?

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教師塾とは?

こちらのページは活動理念です。

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本ブログにて「教師塾」と調べて頂くか、Facebookのページもご覧頂くと、活動の雰囲気やイメージが掴みやすいかと思います。

 

さて、学校の先生とそうでない人との繋がりの場として、教師塾の活動を続けてきました。

そして哲学対話ワークショップに出会い、学校(職場)内外コツコツと続けています。

哲学対話の魅力はルールや対話の進め方にあります。

哲学対話のルールとして、

・何を言ってもいい・何を聞いてもいい
・聞かれても答えなくていい
・聞かれてなくても話していい
・聞いているだけでもいい
問いかけるように心がける
・知識ではなく、(あなたの)経験に即して話す。
・話がまとまらなくても、分からなくなっても、意見が変わってもいい。
・人の意見に否定的な態度を取らない。

があります。特に上から4つ(太字)は私自身も好きなルールです。また、同時に安心感のあるルールです。

このようなルール(雰囲気)でコミュニケーションがとれる場はほぼ自然発生しません。

ぜひ、これらのルールの上で展開される対話を味わってほしいと思います。

 

私はできる事なら、家庭や職場、友人や仲間たちとも、

・何を言ってもいい・何を聞いてもいい
・聞かれても答えなくていい
・聞かれてなくても話していい
・聞いているだけでもいい

がOKな雰囲気で関わりたいです。しかし、関わる人たち全てと理解し合うことはできないでしょう。

不必要な衝突や、意図せず不快にさせることも避けたい関係性もあります。

しかしながら、その壁をうまく取り除く唯一の?方法で、哲学対話でも最も大切で難しいルールが、問いかけるように心がける”です。また、問いの内容ももちろん大切になります。

職場での、対大人・子どもに関わらず人間関係において、私の問いの質に変容が必要な気がしていました。

そんな時に目に止まったのがこちらの本です。

次の哲学対話の日までこちらの本をお供に記事を書いてみます。

 

引用します。

第1章

なぜ私たちは良い質問をするのが下手なのか?

・波風を立てたくない

同意するのは反対するより安全だ。意見の違いがあることは、怖いものだ。拒絶されたり、排除されたりするかもしれないからだ。

理由にかかわらず、集団から疎まれることを望む人はいない。そして集団の規範から逸脱した意見をもつことは、集団から疎まれることの何よりも強力な理由になりうる。だからこそ、私たちは自分の倍念を妥協しようとするのかもしれない。

私の「クリティカルシンキング」講座に参加した若い女性は、この傾向をうまく言い当てていた。「意見を求められたとき、私はまず様子を見ます。周りの人の話に注意深く耳を傾け、意見を探るのです。他人の考えを理解してようやく、自分の意見をもつ勇気が出てきます」

そして気がつくと、本当は賛同できない意見に同調してしまい、夜は自宅のソファに座って、本心を言わなかった自分に苛立ちを感じるのだ。

一般的に、集団の雰囲気は全員の意見が一致したときに最高の状態になる。例えば、誰かの誕生日を祝う席では激論を戦わせたりはしたくない。そのため無意識のうちに当たり障りのない質問をすることで、なるべく波風を起こさないようにする。それが、物事を友好的に保つための方法だからだ。

人種や政治、宗教、気候危機などに関する質問をすることには、リスクが伴う。これらのトピックには、個人的な感情や、経験、政治的見解、思惑が強く結びついているからだ。

この種のトピックについての記事を読んだという他愛のないことから始まった会話が、白熱した議論になることもある。やがてそれは激しい口論に変わり、片方がドアをバタンと閉めて出て行ったり、後悔するようなことを叫んだり、さらには長く気まずい沈黙につながったりする。

 

・本当の質問をしない文化

良い質問、すなわちオープンで、誠実で、好奇心旺盛な質問をすることは、信念に基づいた賭けである。

まず、純粋な問いを立てる。それを世界に発信し、答えを待つ。余計な情報はつけ加えない。ある答えを期待したり、アドバイスを盛り込んだりはしない。自分の意見や経験で着飾ることもなく、相手の答えを肯定したり否定したりもしない。

ただしもちろん、相手に反対の意見を述べられたり、せっかくの友好的な会話が気まずいほうに転がったりしてしまうリスクもある。

良い質問は相手のバランスを崩し、会話に緊張をもたらすことがある。そのため、失礼な質問をしたことを恥じたり、相手を不安にさせたりしてしまったことに罪悪感を覚えるかもしれない。

 

ある人との関係性を深める・もう一つ近づける質問にはリスクが付きまとうようです。

それでも、哲学対話の中では、問いかけ合うことの意味を私は感じています。

問いの内容も大事ですが、やはり

・何を言ってもいい・何を聞いてもいい
・聞かれても答えなくていい
・聞かれてなくても話していい
・聞いているだけでもいい

ができる場や、雰囲気や関係性作りも大切なのでは?と現時点は考えています。

少しずつ読み進めてみます。