二人以上の人を1まとまりとして扱い、向き合う場合を考えてみる。
具体的には会社や部署、職場でいえばクラスや学年、抽象的にいえば社会や世間などだろうか。
「社会に出てから通用しないぞ!」の社会とか、
「一般的な意見としては・・・」の一般とか、
「そういう風潮ありますよね・・・」の風潮とか、
「常識で物事を考えて、、、」の常識とか。
妙なフレーズが揃ってしまいましたが、、、笑
これらは存在がはっきりしない厄介な存在だ。
意識しすぎても窮屈だし、その存在に気づきながら無視しようとするのも疲れる。
私がこれらと向き合う時に大切にすることは、
誰でもない
ということ。
クラスの前、学年の前で話す時、ブログを書くときなど誰向けにも発信できない。
ブログにおいては、読む人よって捉え方が大きく変わらなように心がける。
しかし、捉え方は人によって違う。これは原則。それを意識しすぎては何もかけない。
クラスに向けて話す時も、
私は誰に向けても話せない。話せないからこそ、できるだけ40人に大きな解釈の違いがないように心がける。
話を聞くAさんも、聞かないBさんも、誰かとお話をするCさんもいるのは
Aさんは私が自分(Aさん)に話している。と無意識的に感じているかも、
Bさんはみんな(自分ではない何か)に話していると感じており、
Cさんは私の話より気になるDさんと話しているけど、Dさんは内心私の話を聞きたいかもしれない。笑
二人以上の人を1まとまりとして扱う時には原則として、一人を相手にしているときに出来ないことがあることに注意したい。