そもそも哲学対話とは?と思った方は、教師塾で開催した哲学対話の記事↓
http://gt-24o.hatenablog.com/entry/2019/08/11/115223
教師塾って何?という方は↓
https://www.facebook.com/kyoshizyuku/
本日は京都まで足を伸ばし、哲学カフェにへ行ってきました。
主催しているのは、京都で高校の教員をなされている二宮 徳次郎さんです。
二宮さんは校内の授業でも哲学対話を行なっています。
イベント名は哲学カフェでなく、"哲楽"カフェです。
楽しく一つのことを考える時間になりました。
今回の設定テーマは"死"です。
敬遠しがちなテーマですが、対話のルールを皆で共有して話すことで語り合うことができました。
哲学対話の場に参加したり、場を作るごとに、対等に言葉を発する場の貴重さを感じます。
大枠のテーマは、死についてですが、そこから皆さんで語りたいテーマを絞って出していきました。決まったテーマは、
「自分で死を選ぶことはゆるされるのか?」
でした。
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[対話を通した私見]
生きること・死ぬことを選択できるのは自分しかいない。
その判断を、自分以外の他者が許すかどうか・良いか悪いかを決める。
という前提があるだろう考えた。
この前提で、自分でない他者が命を断とうとした場合、どう考え、どうするか?
この視点では多様な体験を交えた意見があった。
その意見のほとんどが、
死なないように働きかける
という方向性だった。
その上で、死んで欲しくないのか?死んではいけないのか?
という問いが出た。
私は
死んだ人の意見は聞けない。死んでない人は死んで欲しくないと思う人が多いのではないだろうか?と伝えた。
その後は死そのものの話だった。
これについても、様々な表現で意見が交わされた。
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答えはでず、モヤモヤの残る私の好きな対話だった。
主催の二宮さんありがとうございました😊