gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

学びは誰のものか。

知りたいこと・できるようになりたいこと・成長具合は自分で決めていい。

これを決めるということが自分の生き方を決めると言い換えてもいいと思っている。

 

これらの自由(選択)を行使して初めて、その結果に責任が取れる。

責任というと重さや尻拭いというマイナスイメージがあるかもしれない。

学校では、(そういう学校でない学校も多数あります。一般化はできませんが。)

「勉強をやらなかったら、将来困るのはあなたですよ?」

というお節介があったり、

「勉強をしないのなら、その先の人生は自分でなんとかしなさいね?」

とか言われてしまったりするかもしれません。

マイナスイメージを増幅させてしまっているのはこれのせいかもしれません。

(生徒のことを思っての言葉であることもあるでしょうが。)

 

そもそも、人生の責任は生徒(学習者本人)にしかとれない。

それに、学習を行う・時間・内容・共同学習者・担当教員さえも自分で決めていない時点で、そこに自由はなく、責任も発生しない。

とれない責任を取らされているような状態と言ってもいいかもしれません。

 

自分で学ぶことを決めたのであれば、まずやらないという選択肢がない。

選択肢を増やして、学ぶことを自分のものにできるような関わり方をしていく。

 

おわり