gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

新しい環境で

転勤で新しい環境での仕事が始まった。

私は愛知県立の工科高校で働いている。

数年前まで"工業高校"であったが、 "工科高校"に名前が変わった。

https://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotogakko/koukakoukou.html

新学科も開設され、私は新学科の一つであるIT工学科に配属された。

プログラミングによる電子機器や機械の制御を取り扱う実習科目が充実しており、先行してタブレット端末も配備された。

担当教科の半分が未経験のものだ。

部活動顧問はバレーボール部を希望したが、野球部になりそうである。

 

予測、想定がしづらい環境ではあるが、それが理由で不安になったところでやるべきことは変わらないはずなので、落ち着いて1日、一日とやるべきことを進めようと思う。

 

この時期はいろんな仕事の役割分担も高速で行われて、その瞬間、瞬間に判断を迫られる。

何かを選んだり、判断を迫られた場合は

「15分以内にお答えします。」

と時間をとることも大事だ。

 

一日、1日。

余裕を持ってやっていく。

卒業生 part2

昨日は3年前にクラス担任をしていた卒業生と会ってきました。

人間関係の影響で、一年で前職を退職後、4月から専門学校への入学報告に来てくれました。

色々と話を聞くと、コミニュケーションに課題だと思っているようで、私も力になれればと思いました。

学生の頃にインタビューゲームや哲学対話などのワークショップを体験しているので、企画をしてほしいとの言葉をもらい、力が沸きました。

自分のために続けてきた職場外での学びの場が結果としてこれまで関わってきた学生に期待されるのはエネルギーになります。

 

私自身も転勤で環境が変わりますが、その環境の人たちも、これまで関わった人も学びの場に巻き込んでいきます。

 

再来週は2年前の卒業生とご飯に行く予定です。

卒業生からの話を聞くのは勉強になりますし、職場で何ができるかを再考するきっかけになります。

卒業生

3年前の卒業生とzoomで話した。

彼は自分のクラスではなかったが、授業内容以外で、校則や学ぶことについてのそもそも論をよく話したことを覚えている。

20歳を越え仕事も3年目。

やめたいと20回ほど思ったそうだが、思い留まり頑張っているようだ。

辞めたいと思った理由は、仕事内容ではなく人間関係によるストレスだったようだ。

私が教員一年目に感じたものに近いことを感じていた。

しかし、その感覚は彼にとっては初めてだ。

私が〇〇と考えてみるのはどうか?

とか、

私も〇〇というふうに感じていたよ。

と伝えるだけでも、彼にとっては新鮮だったようだ。

 

何か特別に困っているようでなくて良かった。

20回辞めたいと思った時に声をかけてもらえるようになりたいとも思った。

名古屋工科バレーボール部へ

[卒業生へ]

一緒にいられなかった時期もあり、3年間ありがとうとは簡単には言えません。

だけど、私が君らに謝罪の言葉を使うのは君たちにも、私の大切な人にも失礼でしょう。

君らも、パートナーも我が子もみんなとても大切だからです。

私はその時に自分にしかできないことをやり、大切な人のそばにいました。

その間、君たちは存分にバレーボールを楽しみ、どう在るべきか、どう進んでいるか皆で語り考えたでしょう。

私は出会って2年間で目的から外れず、皆で考え、皆で進み、楽しみきることを君らに伝えられ、新たな先生たちとの出会いによって、それが実践、体現できた今年度だったと思います。

これから、大切な時間を共に過ごしたいと思えるような環境や人に出会って下さい。

また、何か困りごとがあれば声をかけて下さい。力になれるよう、日々を過ごしていきます。

 

[在校生へ]

結果に振り回されてはいけません。

部活動の目的を忘れないようにしましょう。

目的からそれず、結果に驕らず、結果にめげず、ひたむきに楽しみ抜いてください。

楽しむことは、楽(らく)とは正反対です。

苦しむために苦しむ必要はないけれど、楽しむために一時的に苦しいときは、少しの我慢は必要かもしれません。

今後も楽しんで。

練習試合や県大会で会いましょう。

向き合う part3

二人以上の人を1まとまりとして扱い、向き合う場合を考えてみる。

具体的には会社や部署、職場でいえばクラスや学年、抽象的にいえば社会や世間などだろうか。

「社会に出てから通用しないぞ!」の社会とか、

「一般的な意見としては・・・」の一般とか、

「そういう風潮ありますよね・・・」の風潮とか、

「常識で物事を考えて、、、」の常識とか。

妙なフレーズが揃ってしまいましたが、、、笑

 

これらは存在がはっきりしない厄介な存在だ。

意識しすぎても窮屈だし、その存在に気づきながら無視しようとするのも疲れる。

私がこれらと向き合う時に大切にすることは、

誰でもない

ということ。

クラスの前、学年の前で話す時、ブログを書くときなど誰向けにも発信できない。

ブログにおいては、読む人よって捉え方が大きく変わらなように心がける。

しかし、捉え方は人によって違う。これは原則。それを意識しすぎては何もかけない。

クラスに向けて話す時も、

私は誰に向けても話せない。話せないからこそ、できるだけ40人に大きな解釈の違いがないように心がける。

話を聞くAさんも、聞かないBさんも、誰かとお話をするCさんもいるのは

Aさんは私が自分(Aさん)に話している。と無意識的に感じているかも、

Bさんはみんな(自分ではない何か)に話していると感じており、

Cさんは私の話より気になるDさんと話しているけど、Dさんは内心私の話を聞きたいかもしれない。笑

 

二人以上の人を1まとまりとして扱う時には原則として、一人を相手にしているときに出来ないことがあることに注意したい。