今日はクラスで行後に生徒とワードウルフをしました。
昨年までは哲学対話をやっているのですが、ワードウルフも楽しかったです。
哲学対話もやれたらよいなあと思います。
今日はクラスで行後に生徒とワードウルフをしました。
昨年までは哲学対話をやっているのですが、ワードウルフも楽しかったです。
哲学対話もやれたらよいなあと思います。
嫌なこと(嫌だと感じること)を言われたら、
嫌なことを言わないでほしいことや、その発言に傷つく私がいることを伝えればいいと思っていた。
それが出来ない場合は色々で、
その人が、私が嫌なこと(嫌なだと感じること)を私のためだと思って言っていたり、
知らず知らずに嫌だと感じる発言をしてしまっていたりするからだろう。
(どれだけ気を付けていけても人を傷つけてしまうことはあることは前提で。)
また、こちらからの申し出が聞いてもらえないだろうと感じたり、意見をする気にならないような人にはやはり言え(わ)ない。
申し出や意見を言えそうな人なら(話を聞いてくれそうな人には)、
その人が嫌なことをその人のためだと言ったり、
知らず知らずに嫌だと感じる発言の数々をペラペラと発してしまうことはないだろう。
関わる人を選べないことはたくさんある。
けれど、自分がその環境でどう動き、どう選択し、どう関わるかは決められる。
決められることにだけ集中しよう。
聞いてないことを、長々と話されることは辛い。
求めていない指摘をもらうことも辛い。
向こうはこれらのことを良かれと思って話していることが多い。
前提として、
気をつけていても傷つけることがあるし、
ふとした一言が助けることもある。
今日は嫌な気持ちになったわけだけど、
私こそ(無意識に)立場を利用して生徒に同じことをやっていないだろうか。
嫌な気持ち、マイナスな気持ちを最低限にしながら、最大の気づきをもたらすのは、問うことだろう。
そんな問いをしてくれる同僚もいたことを、(私にとって)嫌な言い方になってしまっている職員のせいで忘れていた。
誰と共に仕事をするかを選ぶということも大切だ。
1学期の授業振り返りを踏まえて、2学期から自習室を開いています。
強制しない・指示しない関わりをすると決めて、声をかけています。
再テストの日程、学ぶ場所、時間などは相談して生徒と共に決めています。
今週も数名の生徒が学習を進めています。
年間の学習範囲が年間計画として出ているので、自分で教科書を読みながら学習を進めています。
自習室で学習することが1日の流れになっている生徒もいて、私がいなくとも学習を進めながら、わからないところを授業で聞く生徒もいます。
教育実習生の方も業後の自習室に顔を出してくれることになりそうで、違った感覚が入ってきそうで楽しみです。
今日までの自習室や授業で気づいたこととして、
教えることにも問うことが大切だと感じました。
学習者が質問する際に、自分で考えた方が良い質問か、誰かに聞いた方が良い質問かを考えるような関わりが必要でした。
教える前に、その学習者が取り組むことによって、効果が得られるものを私が与えてしまっていないかを確認する必要がありそうです。
まずは生徒からの質問を聴きながら、その生徒の状況を把握しながら、頑張りどころと、助けてもらいどころを判別する力が必要だと感じています。
私は寺子屋中村教室へ通塾し、らくだメソッドという教材を取り組んでいます。
詳細記事がこちら。
gt-24o.hatenablog.jp
9月でらくだメソッドを取り組んで4年になるため、学習を通して気づいたことや生活で変化したことを書き残していく。
テーマ:今しか生きられないということ。
らくだメソッドはプリント学習を毎日することが前提だが、毎日することは目的ではない。
なぜなら今日この瞬間に、毎日やろうとすることは不可能だからである。
過去にプリントが1日でも出来なければ毎日やったことにならないし、やらなかったことを嘆いても仕方がない。
未来にできない日が来ることを心配して不安になっても、ずっとやり続けることに嫌気が差しても仕方がない。
今日のプリントを1枚やることだけに集中することは、今日を生きることであり、今を生きることに繋がる。
仕事で少し嫌なことが先にあっても、過去の失敗を思い出してもココロがグラグラすることがなくなった。
その時のことはその時にしか味わえない。
ならばその時のことはその時まで考えず、今日、今を楽しむことに意識を持っていくことが大事だ。
言葉ではいくらでも綴れるが、カラダを動かして、プリントを1日、1日取り組むことで、アタマでもカラダでもココロでも今を生きる感覚を得られていると思う。