gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

折り合いをつける。

本日は高校156のプリントを行いました。

この記事を書き始めるとき、

「高校教材も後半で、手を動かすだけでは解に辿り着けない類の教材で、、、」

と書こうとした。

しかし、教材ごとに難易度は違えど、人によって難易度の感じ方は違う。

また、理解したと思える基準、今日はここまで!とする基準も違う。

私が、

「高校教材も後半で、手を動かすだけでは解に辿り着けない類の教材で、、、」

と書こうとしたのは、幾何学的に頭か紙の上でイメージが具現化しないと、理解できたとしない基準のせいだった。

答えを見ながら、目安時間で問題が解けたらOKとするのも、基準としてはアリだ。

人それぞれ解りたい具合は違う。そこに学ぶ目的も入ってこれは学びに対する基準は多様になる。

プリントに手がつかない日があるのは、分かるの基準を自分で作って、自分で1歩目を出すのを難しくしていた。

もちろんこれまでの教材より、フレッシュなコンディションで取り組んだ方が良い教材ではあるし、時間もかかる。(と認識している。笑 ⇦これも思い込みかもしれない。笑)

しかし、1枚のプリントとの折り合いを自分がどう着けていくかが大事だ。

結果としてプリントが毎日できていないが、

プリントと折り合いがつけられていない。=自分との折り合いがつけられていない。

から、プリントができていないぁ。になっているのだろう。

 

これは何となくの直だが、折り合いは一生完全につかない。笑

だから、ずっと折り合いはつけていく。ついてまわるのだろうと思う。