gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

このブログについて

  • ・ブログ概要

ブログ管理者プロフィールはこちらです。↓

https://www.facebook.com/ryo.nishio.90

教員をしながら、「教師塾」という学習・交流団体を主宰・運営しています。

https://www.facebook.com/kyoshizyuku

職場や教師塾での活動記録や、日々感じること、生徒へのメッセージなどを書き残しています。

ブクログで読書記録しています。

booklog.jp

共通の本を読んでいたり、共通の積読がありましたら読書会をしましょう!

 

・カテゴリー説明

ブログトップページから、カテゴリー別に記事が見られます。

1.  教師塾

2016年に活動を始めました。こちらが活動理念です。

教師塾 活動理念.pdf - Google ドライブ

教員として学校中で生活し、一般社会との感覚の差が開く危機感がありました。

教員こそ外へ出て社会(教員以外の人)との関わりを持ち、学校内だけ出なく普遍的に学ぶ必要のあることを模索し、学びの場を開く重要性を感じてます。学習・交流会は20回を数えました。

これまでのように楽しみながら、明日の生活が少しでも変化がある場にしていきます。

2.  寺子屋塾 中村教室

https://www.rakuda-method.com

学びのメインツールの一つである「らくだメソッド」を毎日取り組んで(取り組もうとして)います。通塾は原則週に一度で、教材を持ち帰って自宅で学習します。

この塾は、何をどう学んでいくかは塾生によって様々です。寺子屋塾が用意する学びのツールから得られる学びや、自覚する課題は人それぞれ違うからです。 

私は、「自ら学ぶ。」とは一体どういうことかを一から体験しているところです。

また、寺子屋塾では「日常が本番」といわれており、

職場では人(生徒)が、「自ら学ぶ。」に向かうには私はどう関わればいいのかを試行錯誤している日々です。

寺子屋塾の学びのツールの一つである、「未来デザイン考程」という思考フレームを身につけるワークショップの振り返りもこのカテゴリに含まれています。

3. らくだメソッド振り返り

寺子屋塾中村教室のメイン教材であるらくだメソッドについて

https://www.rakuda-method.com

ホームページにも書いてありますが、学習者が教材を決め、学習するペースを自分で決めます。

通塾した際に、一週間の学習通して感じたことなどを書き残しているのがこのカテゴリです。

自分が進んで学習できるようになってくる経過を私なりの言葉で表現しています。

4. 学校

現在の勤務校での出来事からしか私は言えることがありません。

学校全体や教育全体に対しての物言いになっている記事は、勤務校を想像して書いているんだと思って頂けると幸いです。 

5. 各種通信

クラスや、部活動生徒に向けて通信を書いています。ミーティングで伝えきれなかったことや、考えの前提などを書いて発信しています。

6. 哲学対話

哲学対話は、教師塾で行うワークショップの一つで、教師塾でも、学校でも行っているものです。

353日目 保育

昨年4月からの育児休業も3月末で終わり。

パートナーは昨年4月から職場に復帰で、平日は子と二人で10時間ほど過ごす。

環境変化による疲労とは別に、今までにない自覚しずらい精神的な疲労を感じた。

(通院などの)何もない1日はこんな感じ。

起床後 → 朝ごはん

7:30〜8:25(私の朝のコーヒータイム)

NHKのゴールデンタイム「みいつけた」「おかあさんのといっしょ」「いないいないばあ」

掃除・洗濯 → 公園or買い物 → 昼食 → お昼寝 → 公園or買い物

15:55〜16:10 2度目の「いないいないばあ」&夕食作り

夕食&入浴

食事では喉に詰めないか、掃除機は音が大きいので子を視野に入れながら、公園と買い物の移動は事故に注意を払いつつ、(私は免許がないので移動は徒歩or自転車)、買い物では物を触らないか、公園では大怪我にならない(しかし過剰にならない)程度の補助、料理中も視界に子を捉えつつ進める、お風呂ではツルッと滑らないか、溺れないかに注意する。

 

大人数に注目される、人生の行方を左右する場面のような緊張とは違う。

決して切らしてはいけない命を守るための子への意識を10時間持続させるのは、自覚しにくい精神疲労の蓄積につながる。そしてその疲労を自覚した時には時すでに遅い。笑

(呪術廻戦で言えば、術式をずっと解かないみたいな、、笑)

 

前置きが長すぎた。ここからが本題。

稲沢市には一時保育という制度がある。

一時保育 | 稲沢市

詳細は↑から。

用途によって月毎の回数が定められている。

私はリフレッシュを目的に最大月4回の一時保育を利用した。

免許がないので雨の日や、私or子が体調不良時には使えないが、月2、3で保育園へ子を預けた。

朝、預ける時には必ず号泣で、何とも言えない気持ちで別れる。

子の安全が確保され、自分だけに時間と意識を集中させられることが、心をどれだけ回復させることか。(どれだけ楽か。)

迎え時間は子のコンディションによって14:30〜16:00。

身体を休めていると、ふと

「子は何をしているだろう?」と意識がむく。

そのタイミングが回復の合図なのだろう。

迎えに行くと、笑いながら泣いていることが多い。笑

 

この制度と、保育士さんには感謝しきれない。

今日が今年度最後の一時保育だったので、保育園の先生へ向けて手紙を書いた。

言葉では伝えきれない日々の感謝と、お身体を労ってほしいとの願いを込めた。

私たちが利用した園の先生たちは、朝も帰りも元気で笑顔。

でも、元気でない時だってあっていいし、口角が少ししか上がらない日だってあっていいですと伝えたい。

 

保育士さんの配置基準と国別の違いを軽く調べてみた。

https://www.hoikushibank-column.com/column/post_2827

我が子は2歳半である。1歳から3歳は一人当たり6人、、、

本田圭佑さんの「7分?!?」をゆうに超えていく衝撃だ。

国によっては教育全体の捉え方が大きく違うので、自然と保育(園)についての概念も違う。

↑こちらの本も買ってみま。

少しずつ書いていこうと思う。

330日目

育児休業もあと1ヶ月ほどです。

目の前の1日を過ごすだけでお腹一杯の日々。

楽しいし、大変。攻略法なし。

日々変化する子と、自分に向き合う日々です。

大変ではあるものの、子どもは自分を困らせるというより、子どもに対する自らの反応に困っていました。

特に怒りの感情のコントロールが難しい。

育児本を読む勇気がなかなか湧きませんでしたが、何となくこの本をパケ買いしました。f:id:gt_24_o223:20240224203739j:image

約1年の育児休業経たモヤモヤはこんな感じ。

「この困り感は、私だけのせいなのか?」でした。

この本の冒頭を読んだところで何だか肩の荷が降りた感じもしました。

私の努力ではどうにもならない幼少時から親元を離れるまでの体験が、今の私の困り感に繋がっているかもしれないようです。

冒頭部分を引用します。

第1章 子育ての遺産は連鎖する

過去は私たち(と、子どもたち)を攻撃する

子どもが必要とするものを挙げてみましょう。温情、受容、身体的な接触、あなたがそばにいること、限りない愛情、理解、さまざまな年代の人々と遊ぶこと、ほっとする体験、そしてあなたからの多大な関心と、あなたの時間をたくさん。なんだ、それを与えればいいなら簡単だ、この本はここで終わってもいい、と思うでしょうか?ところがそうはいきません。必ず邪魔が入るからです。

中略

しかし、今挙げた何よりも邪魔になることがあります。それは私たち自身が子どものころに与えられた体験です。自分がどのように育てられたか、自分が何を受け継いだかをきちんと見つめないと、過去が私たちを攻撃します。

私は怒りのコントロールに課題を抱えていますが、子への怒りではなく、自らの過去の体験に怒っているのだとしたら、子が可哀想です。

正しく言えば、

「子が可哀想なのだが、自分でもどうしようもない。」

のも本音でした。

少なからず、子へ怒るのなら、目の前の事象にだけ怒ってあげたいと思いました。

無理なく読み進めてみます。

 

Facebook投稿コメント

現在の子育てにおける困り感は、自分でどうにか出来る・出来ないことがあるようです。
育てられ方は選べませんから。しかし、もちろん育てる親も最初から親ではなく手探りだったはず。
自分が子に対してどんな反応をするかが、自分がどう育ったかに起因するとすれば、育てられた時の過去への怒りを子にぶつけるのは子が可哀想。
毎日を楽しいだけで埋め尽くすことは難しいけど、目の前の子が起こすアクションをシンプルに(過去からの色眼鏡を通さずに)見て、反応したい。

262日目 立ち上がるには

11月末に東京へ旅行。

ディズニーをはじめ、子連れで行けそうなところへ。

帰宅後、息子、私、パートナーの順でインフルエンザに。涙

私は1週間、熱が下がらなかった。

その後、1週間はフラフラ。

最近、やっと通常?の体調に戻ってきた。

散歩も始められている。

 

子は元気に走り回り、追いかけっこもする。

そして、よくずっこけるようになった。

 

一昨日もリニア・鉄道館に行った際も、階段で頭から落ちて、頭が付いたところで私たちの手が間に合ってギリギリセーフ。

 

今日も散歩でも追いかけっこで顔面から芝生へこけた。

私は手を掴んで引き上げた。

しかし、引き上げているつもりだったが、あげれば上げるほど子は立てない。

私の引き上げる力と、子が私を引く力が同じタイミングと同じ力だとで、足を踏ん張ることで体勢を立て直せる。

引き過ぎれば、子の手だけが上がるだけだった。

それをも凌駕する力で宙吊りにもできただろう。

それでは、立ち上がる体験ができない。

 

子が手を掴み、こちらの力を感じとり、地面の足を踏ん張る。

少し、自分が教員であることを思い出した。笑

写真は息子のおもちゃと化した鍛錬器具。笑

f:id:gt_24_o223:20231218170558j:image

228日目 豚汁

料理は基本、一汁一菜を心がける。

昨日は、豚汁と里芋煮と小松菜のお浸し。

 

今日は豚汁について書いてみる。

週に3,4回豚汁を作る。

具や出汁の種類を変えてみる。

肉も使う部位も変えてみる。

旬の野菜を入れると美味しい。

味噌を変えてみる。

寒くなってきたので、生姜を刻んで入れるとまた美味しい。

野菜の切り方も変えてみる。(なんかかなり違う。笑)

水から炊くか、お湯から炊くか。(根菜の日の入り方が違う。)

こんにゃくはお湯にさっとくぐらせると臭みが消える。(気がする。)

具材の入れる順番も変える。

これまでは、

出汁を作ってから、根菜、こんにゃく、肉、みそ、ネギの順番だったが、

根菜、こんにゃく、肉、ダシ、みそ、ネギの方が香りが飛ばない。(気がする。)

根菜・こんにゃく・肉はレギュラーで最後に入れるネギを色々な食材に変えている。

エノキも入れていたが、次の日に飲むと少し酸味が強くなる。(気がしている。)

味噌を入れてからは、一度煮立ったらそこからは沸騰させない。

ネギに相当する材料を入れてからは火をきる。

これ以上、具材を足すとなぜかおいしく無くなる。(気がする。)

 

最近は白菜が美味しい。

白菜は白い硬い部分を刻んで根菜と一緒に入れる。

葉っぱをネギと同じタイミングで入れる。

シンは柔らかく、葉は少しシャキッと食べる。

 

こんなことは子どもを見ながら夕方に何て出来ないから、今週は朝に作ってみている。

夕方までに一汁一菜のどちらかが出来ているとかなり楽だ。

 

豚を鶏にしても美味い。もはや豚汁じゃない。笑

 

よければ豚汁たべにきてください。

 

f:id:gt_24_o223:20231114212138j:image

写真は音速でサイズアウトしていく息子の3足目。靴はいつもアウトレット。

227日目 玩具

今年4月から育児休業中で、平日は7:00から17:30まで子と2人で過ごしている。

 

私は室内で遊ぶより外で一緒に身体を動かしたいので、4月からは玩具で遊ぶことが減っていた。

玩具箱を久々に出すと、1人で遊べるものが増えていたし、これまでとは違う方法で遊んでいた。

全ての玩具を遊び終わるまで1時間。

何だか得した気分だった。笑

f:id:gt_24_o223:20231113191657j:image

写真は金山で開催中のチームラボで書いた力作。https://futurepark.teamlab.art/places/nagoya2023/