gt-24o’s blog

わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

弱いけど、強い。

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僕はワンピースのコビーが好きです。

初期ステータス最弱の四頭身男です。

もこみちさんの半分です。

でも、

自分より圧倒的に強く、自分の上司にあたる人間に、

「そりゃそうだ。」

と、

ほとんどの人間が納得するタブーなる反対意見を必死に絞り出します。

その言葉を吐くことで二度ほど死にかけますが、

二度とも自分より圧倒的に力のある、ほぼ赤の他人の麦わら帽子が似合う男に助けられます。

 

同じ集団の立場が上の人間に、自分の立場が悪くなりそうな時、自分の言いたいことは言い難いです。

でも、自分だけの損得でなく、自分以外の人の多くの納得と自分の正義が一致すると認識できたときは、自分の言葉で伝えることは大切です。

そのときはボコボコに叩きのめされようとも、じわじわと勝手に効いてきます。

(効いてこないということは自分の正義と周りの納得が一致してないってことだと思います。)

 

それに、主張する時には、自分の言葉に"正しさ"が必要になります。

だから、学ぶ必要もあります。

 

立場が弱くとも、"正しさ"に強さを。

 

おわり

楽しい毎日

毎日楽しい。

楽しませてもらっているし、

楽しんでもらっている。

自分が楽しんでいられるというのは、誰かがいるから。

そして、自分に”ささやかなる楽しもうとする姿勢”があるから。

 

楽しさを自分以外のところに求めても、楽しさは一行にやってこない。

ミッキーマウスに会っても、

吉本新喜劇に行っても、

千鳥のクセを間近でみても。笑

 

今日の6限目の授業は楽しかった。

これは僕が身体をはって、前で変なことをしているわけではない。

子どもらがこちらに関心があり、私も子どもらに関心がある。

関係性や距離感を味わいながら慎重に言葉や間を感じながら、

掛け合う言葉だからこそ面白さがある。

 

 

 

おわり

 

イスに座っている時間

 

学校で学ぶことにどう向き合うかは自由。

不自由を感じたなら、なぜ不自由を感じたのかを考えることが学びに繋がる。

授業で学べることなんてないって思うのも自由。

学べることがないって思ったその時から、その教室から立ち去るか、

その教室にいるなら、その意味や、その時間を有効に使うことは学びに繋がる。

成績がとれていて、日々学べているなぁ~っと思えたなら、そこで終わらず、

その力をどう使えるだろうか?誰のために使えるだろうか?

と想像することで学びに繋がる。

 

学校にもよるけど、

学校に行く日を数えて、

そのうちでイスに座っている時間を計算してみよう。

イスに座っている時間=授業の時間

ではあるのは事実なんだけど、

「イスに座っている時間」

は僕らの大切な人生の一部。

イスに座っている時間=〇〇〇〇

の「〇〇〇〇」は先生や他の生徒、親御さんに迷惑をかけなければ自由だと思ってる。

せっかく座っているならの先を一緒に考えたい。

 

おわり

 

水曜の間食

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毎週、水曜は通塾のため栄生駅から少し歩く。

その通りあるお店がこちら。

べんてん
〒453-0033 愛知県名古屋市中村区栄生町11−6
052-481-7021
https://goo.gl/maps/eHGq2xhTsRE2

いつも小腹?を満たすためにたこ焼き10個入りを買う。

写真をみてわかる通り、10個入りのたこ焼き。

いつも

10個入りです。

という顔でたこ焼きを渡してもらってる。

それがなんかいい。

 

おわり

失敗だと思えるということ

失敗は、

自分が設定した、思い描いた状態になれなかったとも言える。

A君は100点を目指して、50点だった。

A君にとっては失敗だった。

B君は100点を目指して、50点でも、

50点もとれた!やや成功か?

と感じている。

むしろ、B君は50点を目指していたのかも。

50点目指して、50点が取れている。

これをB君は成功と捉えている。

というかB君はこれといった指標を目指してはいないのかもしれない。

 

でもC君は150点を目指して、100点を取った。

C君は失敗と思うどころか、自分を責めた。

 

失敗だと思えるということは、

200点のイメージも300点のイメージすらも持てるという才能だと言えるかもしれないけど、

50点では満足できない不自由さがある。

 

そしてその、200,300点という指標は誰が決めたのだろうか。

誰かにあてがわれた指標に惑わされるのはつらい。

まずは自分の指標、いわば物差しを持ちたい。

 

おわり

時間に重みをつけない

「結果を出したい!」

という思う気持ちはあって良いと思う。

だけど、

「結果を出したいなぁ・・・」

と考えている時間はそんなに必要ないし、

結果への期待はさらに少なくて良い。(目的の確認はいる。)

 

期待を膨らませることで、一時的なエネルギーにはなるかもしれない。

ただ、その結果を得るためには今日やることを決めてやることだ。

やることをきっちりやってその時を迎えれば、

過剰な期待も緊張もしなくてすむように思う。

 

「きっと結果はついてくるさ!」

とか言ったりするけど、

チャレンジをすれば、結果は自然にやってくる。

だったら、その瞬間のことを考えたって仕方ないんだから、

(考えちゃうけど・・・)

今日やれることを、必ず毎日やれるペースでやってみようとすれば良い。

さらに言えば、どんな結果がついてくるか全くわからないことだって、

試し続ける価値があると思う。

なぜなら、続けた人にしか見えない景色があるからだ。

 

その一瞬に重みをつけずに平等な時間の連続の中に身を投じていきたい。

 

 

おわり

自己決定を促すこと

自分(たち)で決めなさい。

と指示することは、

自己決定を促してるのでなくて、

自分たちで決めることを強要していることになる。

自分たちで決めることを、こちらが決めているから。

 

その事柄は君たちで決めるかい?

それとも私が決めた方が良いかい?

と、誰がどう決めるのかを共に考えることが自己決定を促すこと(選択してもよいのだという意識)に繋がる気がしている。

 

また、

私が彼らに決めてほしいこともある。

自分が決めるべきではないという事柄に関しては、

決めさせる。

という選択もあってよいと思う。

最終的にその決定の責任をとるのが明らかに彼らである場合は決めさせた方がいいかなと思う。

責任という言葉を使ったが、この責任が厄介。

責任をとる能力があるのに責任を取らないのはイマイチ。

責任をとる能力がないのに、責任をとるのはなかなかつらい。

責任の存在に気づいていないのなら、転ばぬ先の杖にならず責任をとるところを見守りたい。

 

少しそれました。

この辺のことを一つ一つ考えて、線を引いていないと自分の足で立つことを妨げてしまうような気がしています。

 

おわり