gt-24o’s blog

わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

ポッキーの日

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私ごとですが、先日の11月11日が誕生日でした。

ポッキーの日という覚えやすい日とは言え、

ありがたいです。

「渡したいものが…」

と、聞かれ

「ポッキーじゃあるまいな???」

と返すと、

何でわかったんですか?!!?

と驚く人もいれば、

プリッツはポッキーじゃないだろうとドヤ顔をする人もいれば、

トッポは高いからごめんなさい!

と言う人もいて楽しいやりとりでした。

お金が発生しているので、手放しには喜べないのですが、ありがたく頂きます。

おわり

知らないと困るか part2

http://gt-24o.hatenablog.jp/entry/2018/11/07/212143

知れば知るほど伝えたいことが増えていくと思っていた。

しかし、知るほどに知らないことが増える。

語れるようになるどころか、一般化できないことに気づく。

 

一般化できないのはなぜかといえば、

その人の問題は、

同じような問題に見えても、

その人が自分とはまったく違う存在なだけ、

課題は全く違う。

自分の経験が他人の問題を解決することはないとも思う。

 

正解はどこにもない。

しかし、ある人と人の間になら、

その人たちだけの"道筋"というか、"納得"というか、"学ぶ事柄"というか。(言葉が見つからない)

そういうものなら見つかる気もする。

 

だからか、私は他者と関わるとき、個にフォーカスするようになってきたのかも。

 

おわり

その人は既に人生を最適化している。

 

誰かに

「私と同じくらい頑張って欲しいな。」

って思ったとしよう。

そう思うのは自由。

 

しかし、

その人は、

あなたと同じように、

”あなたが思い描く頑張る”をその人も同じように頑張ることだと捉え、

頑張りたいと思っているんでしょうか?

 

自分に置き換えてみよう。

あなたは自分に100%満足と言わないまでも、

現状を見つめて、最低限かつ最適な選択をしながら生きているはず。

 

 

その人も同じように、

その人の人生を最適化して今この時を生きている。

 

その人が、その時になればわかることはその人に任せよう。

その人が困った時に、

その人の問題を肩代わりすることなく、

その人がその問題を解決できる手助け準備をしておこう。

そこまででOKだと思う。

 

おわり

知らないと困るか

本を読む。

知人のブログを読む。

行ったことないところへいく。

人から話を聞く。

これらの行動から、知らなかったことを知ることがあります。

(知ったからこそ知らなかったことがわかる。)

 

知らなかったことを、知ることで、

直面する課題がクリアされることがあるかもしれませんが、

自分の知らないところで、自分の想像もしないことが起きていることに気づき、今の当たり前が当たり前じゃないと気づくことも。

 

知って良いこともあれば、知らなければよかったと思うこともある。

だから、「知る」ってことは足し算的に積み上げればいいってものではないかもしれない。

(現時点では、知らなければよかったと思っても、さらにその先の知らない何かを知ることで、知ってよかったことになるかもしれない。あー堂々巡りだ。)

 

何らかの”知る体験”によって、

自分の現状を打破する感覚を得てしまったとき、

過去に抱いた深い思い込みが解決してしまった時、

”知らないこと”が山ほどあるんじゃないかと想像できるようになった時、

もう後戻りできない気がしています。

 

困っていたけど、疑問に思っていたけど、

そういうことを我慢して、気にしないようにするのがが大人になるってことだぜ・・・

って思うこともあった。

だけど、自分のペースで一歩ずつ知らない世界へ踏み出していくと、

過去に諦めていたことや思い込みがほどけていく感覚が私にはあります。

 

知らないなら知らないで、困らないかもしれませんが、

(知らない状態であることに気づいていないから)

知らないことで、無意識かつ慢性的に困っているかも知れません。

だからこそ、自分が感じる困ったこと、疑問に思ったことに蓋をせず、

ここぞとばかり向き合えるといい。

また、どこでも誰にでも、

「分かりません。教えて欲しいです。」

と言えるといいなぁと思う。

 

おわり

文化祭で哲学対話 part3

哲学対話って?+午前の第1回目

http://gt-24o.hatenablog.jp/entry/2018/10/31/225441

午後の第2回目

http://gt-24o.hatenablog.jp/entry/2018/11/02/132552

 

今回は午後の第2回目にして、

「なぜ自殺はダメなのか?」について振り返ります。

このテーマを出した生徒と共にテーマについて掘り下げたところ、

「自殺は絶対ダメだ!みたいなポスターみたいに自殺はいけないことだという世の風潮があるけど、自分が死ぬかどうかは自己責任なのでは?」

というところまできた。

「自分の命なのだから、自分でどうしたっていいのではないか。」

とのこと。

これに対し、他の生徒から、

「自分の命は自分だけのものなのか。」

という問いがあった。

親御さんたちが育ててくれたから今があるのだと。

テーマを出した子は、

「生まれたいと思ってこの世に生まれてきたのか。」

「お金をかけて育ててくれたはいいけど、親孝行をしなければならないという風潮も息苦しい。」

との意見も。

家庭によって、立場によって違いがあるからこそ、一人ひとりが自分の言葉で話してくれた。

 

午後の対話では、

保護者の方も参加されていた。

保護者の意見として、

「親の立場を一旦置いておいてみると、その人が死ぬかどうかはその人の問題だと思う。」

「親としての意見をいうね。私の息子は自殺したいと言ってきたし、トラックに轢かれて瀕死状態になったこともあった。自殺したいって言った時も、トラックに轢かれた時も、私が代われるならそうしてあげたいって思った。代わって私が死ねば、この子の苦しみが、悲しみがなくなら。こう思えるようになったのは親になってから。」

と。

 

ひとしきり、意見が出終わったころに、

私から思うことを言ってみた。(まとめようとせずあくまでもIメッセージで。)

「最初のテーマに戻ってみよう。自殺してはいけない。っていう風潮があるって言ってたね。自分もそんな風潮があるのは感じるけど、自殺してはダメって誰が言ってんだろうね?」

「立場によってこれだけ意見が変わる。僕たちはもしかしたら、死に触れていなさすぎなのかもね。365日、人の死を目の当たりにしている人、看取っている人がいたとして、毎日後悔の念を口にしながら人が亡くなっていくのを見ている人がいたとしたら、違う意見なのではないかな?」

「そして、自殺をしようとしてる人を助けたいと心から願い、自殺を止めるチカラも伴っている人の集団があったなら、その人たちは自殺はダメっていうんじゃないかな?」

と。

 

最後に感想をシェアしました。

生徒さん方からは、嬉しい感想多数。

保護者の方からは、

「上からモノを言ってないか心配でした。緊張しましたが楽しかったです。」

と、これも気づきと嬉しさのある感想でした。

自分も気をつけよう…汗

 

私はこの場を立ち上げた者として、場を守る必要があると考えていました。

好きなことを言い合うだけのような場にならないようにと。

しかし、そんな心配は必要なく、皆が適切な距離感を漂わせながら、いつもは聞けないことを問い合っているように見えました。

 

立場が違えば、意見が違う。

でも、普段の生活ではなかなかそこまで気が回らない。

こうやって語り合う時間っていいなあと改めて感じました。

 

文化祭で哲学対話 完

 

(この自殺についてのテーマを出してくれた子は、勉強も部活も頑張っている子。"生徒として"は何不自由なく学校生活を送っているように見えた。でも、この疑問を日常生活の中で外に出せばどうなるだろうか。心配されたりするかもしれない。どんなテーマにおいてもフラットにその疑問に対して自由に話すことって大切だと思う。どんな疑問にも、順序をつけず語り合う場が学校にあるというのは、価値があるなぁと思う。)

文化祭で哲学対話 part2


gt-24o.hatenablog.jp

 

先日の文化祭にて哲学対話を行いました。

午前に1回、午後に2回やりました。

part1の記事では、午前に行われた対話について書いてあります。

今回のpart2では、午後の記事について書きます。

午後は参加者が増えたので、他の先生にも協力していただき、輪を二つにしました。

私が参加していた対話について振り返ります。

 

第2回のテーマ

・なぜ自殺してはいけないか?

・コンビニのおでんNo.1

・(名南工高は)1年生はなぜ部活動に強制入部?

・結婚のベストタイミング

 

このテーマが並んだ時に、テーマ毎に対する印象の違いで、ここで話しても良いかどうかを自分が考えてしまいました。

また、自殺について話すのはどうなのだろう?

という雰囲気がありましたので、

学校だからという理由で、話せないテーマがあるくらいならやらない方が良いと思うので、全てのテーマについて話してもいいと思うと皆に伝えました。

少なくとも、ここに集まった人が話したくないことで、聞きたくもないことであれば、テーマとしては不適切かと思いましたが、そういう参加者もいませんでした。

 

というわけで、まずはおでんから。笑

この時期になると、コンビニおでんの食べ比べをする生徒がいましたので、その子の情熱について話を聞きました。

面白かったです。笑

 

1年生が部活動に強制入部することについて。

1年生は、部活動に所属することが求められます。

テーマを出してくれた子は、部活動に自分の意思で参加している子でした。

「なぜ、このテーマを?」

と聞いてみると、

「入らないといけない、こないといけないという意識で参加する人がいるから困る。」

というものでした。

また、部活動に入りたくない人は、

「1年間は所属しないといけないって辛い」

という意見も。

この対話には、保護者も参加されていました。

その保護者からは、

「1年目に取りあえずは、部活動を体験してみるということに意味がある。集団生活や先輩後輩関係を体験してみて、ダメなら2年生なら退部すればよい。」

と。

私からは、

「頑張っている人が正しくて、頑張っていない人が悪という考えになっていないか?」と。

また、

「その年、その時の部活動の在り方を全員で話し合うこと。自分の意見を言い合って、どういう場所にして行きたいかを話し合って、妥協するところはして、約束することは約束して。そういう時間をとった方がいいんじゃないかな?」

と。

 

次回は

なぜ自殺してはいけないか?

について書きます。

 

おわり

文化祭で哲学対話 part1

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本日は文化祭でした。

そこで、いつもはクラスでやっている哲学?対話を一つの教室を使ってやってみました。

午前の部に一回、午後の部に二回行いました。

「哲学対話はこちら」という張り紙とA4サイズの資料を入り口に置き、参加者を待ちました。(チラチラ覗いたり、輪に入らず聞いているだけの人もいました。)

午前、午後ともに1、2、3年生、教員、保護者、卒業生がまぜこぜで語りました。

対話のルールを、

1  何を言ってもいい

2 否定しない茶化さない

3 聞いているだけでもいい

4 問いかけるよう心がける

5 知識ではなく、経験に即して話す

6 話がまとまらず、意見が変わってもいい

7 わからなくなってもいい

この7つで設定しました。

また、

誰かに意見を求める場合、求められる場合のルールも追加しました。

1−1 何を言ってもいい(何を質問してもいい)  に追加して、

1−2 質問されたことを言わなくてもいい

1−3 質問されたことでないことを答えてもいい

も設定してみました。

1−2があることで何を言ってもいいという雰囲気が生まれた気がしました。

何度も対話し、ルールの大切さを実感します。

 

・入室したら立場を忘れちゃおう

・椅子は等間隔で並べよう

・途中退室・参加 OK

という3つは黒板に書いて声かけもしてみました。

 

輪になり対話をする前に、

3、4人グループになって、

2人、もしくは3人が残り一人に対して、3分間質問を続けるという時間を取りました。

ルールの確認とアイスブレイクを兼ねて行いました。

ここで答えたくないことには答えなくてもいいことを確認できると、

その後、自由な発言や意見交換ができるように思えました。

 

本編

1回目テーマ

・自分の生活に満足しているか。

・生きる意味とは?

・趣味

・女子はなぜスカートなのか

・男子はなぜズボンなのか

・野球部はなぜ坊主か

 

まずは趣味について話しました。

盛り上がって、色々と聴き合いました。

自分のこととなるとみんな饒舌で聞いているだけで楽しかったです。

その次に、3つのテーマを同時に話すことにしました。

・女子はなぜスカートなのか

・男子はなぜズボンなのか

・野球部はなぜ坊主か

その理由としては、

問いを出した生徒が、純粋な疑問というよりは、

「何で選べないんだ!」という問題定義をしている共通点があったからです。

野球部経験者は坊主のことを、男子はズボンについて、女子はスカートについて自分はどう思うのか。考えていきました。

そもそも考えたことがないという意見がある中で、

問題定義をした生徒は、自分の思いを伝えてくれました。

女子生徒のAさんは、

中学になるまでスカートを履いたことがなかったからとても抵抗があった。

また、

女子生徒のBさんは、

愛知県内の違う工業高校では、スカートとズボンが選べるのになぜうちの高校は選べないのか?

という意見でした。

Bさんに対しては、ある高校が選べるのにうちは選べないということなら、ある高校へ行けばいい。うちで学びたくて、選びたいならその自由な言動に、責任ある行動をしてみたら?と聞いてみた。

必要な手続きを生徒指導部や生徒会の先生と相談し、僕らで変えていくことができないかな?と問いかけてみた。

Bさんのこれからの行動が楽しみに思う。

(しかしながら、自分が言ってしまうとそうなってしまうとこがある。意見を言うよりも問いかけることが大切。ルール4が大切だ・・・)

 

ズボンとスカートが選べないことで、本当に苦痛に感じている人がいることに気づけた

。坊主もしかり、髪型のせいで野球をやる環境がないってどうなんだろう?と。

マジョリティがマイノリティを押しつぶしてはいないだろうか?と。

 

そういう人が苦痛にならなくて、かつ、

その問題に苦しんでいないその他の人が困らないルールなら変わっていいんじゃないかな?と問いかけてみた。

すると、そもそも、自分たちが動いて変わるの?という感じ。

これはいかんなぁと。

哲学対話をやってみて、対話を場を設けることの必要性を感じる。

対話という形で、自分の声を届ける方法を共に学んで行きたい。

 

先生のコメントから・・・

ここに参加する先生は、立場をギリギリまで忘れられる人だと思いましたが、

参加したある先生からは、

「もう少し言いたいことはあったけど、初めてだったから言えないところがあった。」

という言葉をもらいました。

そこまで言えている時点でいい意味で立場を忘れて話してくれているようで、何だか嬉しかったです。また参加してもらえるように少しずつオープンにして行こうと思っています。

 

おわり

 

参考書籍

考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門 (幻冬舎新書)

子どものための哲学対話 (講談社文庫)

クラス会議入門 (THE教師力ハンドブック)