gt-24o’s blog

思慮深く、大胆に書きます。

道徳、善、ルール、自由→思いやり

「一切は習慣的なルールの束である」

デイヴィット・ヒューム

道徳、善の価値(モラル)は、ある集団(社会)の中で、その中にいる人の認識や感覚を交換したり、すり合わせることでなんとなく見えてきて、何となくそこにある。

だから、社会ごと(会社、学校、地域、国などなど)で、モラルは違ってくる。

それによってルールも違う。

これは当然のことで、そこにあつまる人は常に違うからであり、同じ集団は二つない。

時間が経てば入れ替わりも出てくるから変化していくものであってほしい。

 

違う認識をもち、道徳や善の価値が違うからこそのルール。

このルールはその中にいるほとんど人が同じだけ幸せになるためのものだ。

 

「いたるところですべての道徳が本来そこから由来する根源が否定される。まさしく自然の道徳の承認のうちにある自然性の尊重があとかたもなく絶滅されるのである。」

 フリードリッヒ・ニーチェ「権力の意思」より

 

その社会の中にいる人の、道徳、善の価値が反映されていなかったり、

誰かが決めた、何となく決まっている道徳や善の価値によるルールを守ることは中々難しい。

また、道徳や善を大切にすることは手段である。

その社会の中にいる人たちの幸せが目的なのに、ここが逆転していることもある。

 

自由こそが大切なものだという主張でなはく、

私が大切にしていることは、目の前にいる子どもたちが、自分のココロで感じたことをもとに、アタマで考えて導き出した道徳や善を押し込めて、

誰かに決められた道徳や善の価値こそが正しいのだと思い込み、慣れてしまい、思考が止まることを防ぎたいと思っている。

 

今の環境に適応しながらも、問題提議を忘れず、改善のためにやや前向きに、思いやりのある提案をする力を付けてほしい。

その集団で、こうだと思う、そうだとも思う。じゃあこうしちゃってもみんな大丈夫なんじゃないの?と話し合い、承認し合おうとする姿勢が大切なんじゃないかと思っている。

 

おわり

 

学校で何を学ぶべきか?

という問いがあったとするなら、

どれだけたくさんの意見(答え)が出てくるだろう?

 

飲食店は、接客態度と言葉遣い?

建築系なら、構造学、材料学?

花屋さんは、花の知識と笑顔の素敵さについて?

トヨタ系の企業は、何かにつけて色々必要そうだ。大きな企業なだけに。笑

働くことを前提にし過ぎているなら、

パートナーとお互いに幸せになるためにどうしたら良いか?

お金、経済について?

 

人の数だけ出てくる。

 

何を学ぶべきか?

という問いにすると際限がなくなる。

 

子ども(学びの主体者)がどんな分野に興味をもっても、

どんな学びの分野の扉をも開けるようにしておくこと。

入り口までのナビゲートが出来るようになっていたい。

そのことの専門知識を流暢に話せることも1つの大切な能力ではある。

しかし、調べてしまえば済んでしまうこともある。

ならば調べてるときに、正しい情報を手に入れる方法は今の時代には必要だと思う。

知識の手に入れる方法を伝えること。

学び方を共に学ぶこと。

そんな関わりをしている。

 

おわり

学ぶ楽しさ

私は週に一度、寺子屋塾 中村教室へ通っている。

https://www.facebook.com/terakoyajuku.nakamura/

昨年の9月から通い始めて半年になる。

この塾に学校で行われるような授業はない。

学ぶ主体である自分が何を学びたいかによって、

いくつかある手法を用いて、安全な場での体験を通して学んでいく。

メインのコンテンツは、らくだメソッドである。

どの子にも学力がつく らくだメソッド

この教材を通して、一番変化したことは、”習慣”だ。

本を読まなくちゃ・・・

仕事を効率よく・・・

勉強する理由って何だ・・・?

などなど、色々と考えるところがあったが、

”意志の力”では何ともならないところがあったし、

一人で考えてもらちがあかないことだらけだった。

らくだメソッドを通して、1日、1枚のプリントをやって行く中で、

習慣に変化が表れてきた。

 

また、

自分の中での”学ぶこと”の概念が少しずつ変わってきている。

アタマで、何をしたら成長できるか?とか、

あんな人になりたいとか、

目標のためにとか。

色々考えることはあると思う。

でもその前にもう少し、学びの根幹の部分をカラダとココロで感じてからでも遅くないと思う。

本当に学びたいことは、すでに目の前にあることが多い気がする。

現状の自分のあるがままを直視し、受け入れてあげる。

さらに、

何に興味があるのか?

何を知りのか?さらに言えば、

自分の根本にはどんな欲求・欲望があるのかを自問する。

すると、本当に知りたいことが自分の中心から溢れ出てくる。

勝手に本も読むし、人に話を聞くようになるし、知った知識を記録していくことも自然とするようになる。

自分のことが少しずつわかってくる。

学ぶことが楽しいというのは、こういう状態のことなんだと気づくと、

アウトプットしたくなる。それを人のためになるレベルまで引き上げようとする。

アウトプットがうまくでき、人に伝わり、共有できれば、人のためになる。

そこには、学びが開かれた人が集まるコミュニティが形成されるから、相乗効果も生まれる。

そうすることで、良質な情報も共有できる。

 

こういう流れが自分が思う、

”学ぶ楽しさ” だ。

義務でもなく、努力でもなく、頑張ることもなく、

学びたいことが習慣の中に少しずつ組み込まれて来ている感じ。

 

こういう場所にいれて嬉しく思うし、

こういう場を自分でも作っていけたらいいなと思う。

 

終わり

 

 

 

 

 

自然な選択には圧倒的根拠(確信)がある

新たな価値に出会うこと、新たに出会った人や先輩方の話を聞くことは、

自問自答の良いチャンスだと思っている。

今までにない材料を仕入れて料理をするような感覚。

 

新たな価値は今までとは視点から目の前のことを見るチャンス。

それでも今、大切にしている価値は、その環境にいる限り180°ひっくり返ることはなかなかない。

(一つの視点や価値観で180°引っくり返ることは少ないというニュアンス。日々、自分で考え、他の価値に触れ、1年後に75°くらい変わっているとしたらそれは、日々の積み重ねが為すことだと思う。)

 

先輩の話には、これから自分が行う選択のヒントになるかもしれない。

ヒントにはなるが、自分の問題を解決に直結するカギにはなりにくい。

そんな簡単になってもいけない気がする。

それは自分は自分しかいないからだ。

我思うゆえに我あり。ー ルネ・デカルト

自分がそう思った。そう感じた。そう見えた。

それくらいは自分で信じてあげていいと思う。

その感覚を磨くには良質な知識や信頼できる人に問うこともいいかもしれない。

他の価値に触れながら、何度も自問する。

それでも、その時にスッと湧き上がった大切にしたい価値を信じれたらいいなと思う。

選択が一大決心にならず、自然な選択になるように。

言葉にならない確信(俺がそう思ったんだから大丈夫)をもてるように。

 

おわり

 

城ヶ崎文化資料館(おもしろ博物館)

旅行2、3日目かけて泊まったのは、伊豆高原です。

こちらに泊まりました。

www.izu-noel.com

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ここにはもう一度と思っています。

 

3日目にふらっと寄ったのはこちら。

城ヶ崎文化資料館(おもしろ博物館)

完全に名前に引っ張られていきました。

確かに、面白かったのですが、

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こんなものも。

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これらの教材を使った授業ってどんなんだろうかと、とても関心が湧きました。

まさかこういったものをお目にかかれるとは思ってもいませんでした。

まだまだ写真はあるので、よければ送らせていただきます。

伊豆高原に行くことがあれば是非寄って見てください。

 

おわり

しおり

本を買うと、しおりが挟んであることがあります。

私はしおりの位置が見えるように少しだけ出して本に挟みます。

 

その本をカバンなどに入れて移動すると、しおりが少し折れてしまう。

私はそういうのがとても嫌いなのですぐに直そうとします。

反対に折ってみたりと色々します。

しかし一度、曲がってしまったしおり元には治りません。

しおりなら高めの皮のしおりを買ったりすればよいです。

 

これを自分の身体や、

これまでの選択にあてはめますと、

そうもいきません。

あ、曲がってしまったな

っと感じ、

ものの数分で元の形や、

アタマで想像し理想としていた形にしようと思っても難しい。

元に戻すために、時間を使うなら折れてしまった現状と上手に向き合っていく方法を考え、

"今"できることを具体的に行動した方が良い。

そう思ったのでした。

 

おわり

相田みつを美術館

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行ってきました。

相田みつをさんの長男である、

相田一人さんが館長であります。

 

こちらに伺う前の相田みつをさんの印象ですが、

やんわりとしたおじいさまが、

世の皆を癒すべく、優しくも、気づきのあるような短い言葉を独特な字体で書き上げ作品としている。

と思ってました。

しかし、蓋を開ければとんでもなく。

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画像右側のように、書の大会にでれば頂点をとることのあるガチの腕前。

 

己の世界を究極的に表現するために左のような字になっていったそうです。

 

また、相田さんは詩人であり書道家であった。

詩を書くときは詩を書く。

書を書くときは書を書く。

詩を考えながら、筆をとることはなく、

書を書くときは30畳あるアトリエの足場なくなるくらい、

失敗した書を燃やし、風呂が沸くほどの量だったそうです。

詩は詩の分量。

詩を凝縮した書が皆さんが見たことがある書になります。

書の前には必ず詩があり、その詩にも心を奪われました。

 

バインダーと鉛筆が用意されていて、メモが出来るようになっていましたので、2つほど記録してみました。そのあとすぐメモの意味がないことに気づきやめました。

同じ文字の羅列が、ここまでの違いがあることを想像していなかったからです。汗

 

相田みつをさんは、僕が生まれた一ヶ月後にこの世を去りました。

この世を去った後に、

にんげんだもの

https://g.co/kgs/CJifbZ

がじわりじわりと世に広まりはじめました。

 

これらの話は、臨時でなぜかなんとなく開かれた相田一人館長によるミニレクチャーで聞けた話です。

相田一人さんも、クセのある素敵な方でした。笑

 

相田みつをさんの作品に心を打たれました。

そこには、見えていない物語や事実がたくさんあったのたのだと思います。

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おわり