gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

授業見学と振り返り会とこれからの授業

3年前から数人の先生と授業を見学し合い、振り返り会を行う時間をとっている。

先週、職場にて昨年・今年ともに担任学年の授業を見てもらった。

この機会に担任学年の彼らと作り上げてきた3年間の授業について振り返りを行おうと思う。

 

こちらのコンテンツを使って授業を行った。

https://arrowsinc.com/business/sensei-yononakagaku

今更ながら学校が民間企業といかに連携するかを考える機会になった。 

振り返り会で印象に残った意見は、

「怒りやパワーで押さえ込もうとする動きが全くの0だった。安心・安全な場になっている。」

だ。

理由は、自分にとっては当たり前のことでその視点がなかったからだ。

 

授業に出るか、何を学ぶか、どんな時間にするかは学習者が決めること。

学習における責任を少しずつ自分で握ろうとしていくのを見届けたいとおもっている。

この本はイメージしやすいかも。↓

「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる

「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる

 

こちら側が主導権を握り、学びの責任をこちら側が負った授業での学習者の学習量と、

学びの責任を学習者へ渡しての学習者の学習量は、同じ人間であれば実質ほとんど変わらないと感じている。

後者の方が、学習者と対等な関係でいられているし、安全・安心な場に近づきやすいと感じる。また、実質的な学習量が変わらないのであれば、自らの力で学習を進められるという実感をしやすい後者の方が私は好きだ。

 

では安心・安全な場だけで人は成長しようとするか?

という点では、こちらの本の、

働く大人のための「学び」の教科書 の中に書かれています、

(下記画像は読書記録のスクリーンショット

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③にあるように、「緊張屋さん」も必要です。

また、”学習するには他者が必要である”とある。

 

私の授業には、この「緊張屋さん」と”学習を行うための他者”が欠け気味である自己分析しました。

 

「安心屋さん」と「緊張屋さん」というのは、(教員などの)人でないといけないわけではない。

場を作る私自身は「安心屋さん」でありたい。

その中で、学習の成果を発表する場をつくることなどで「緊張屋さん」を用意することもできそうです。

まだやれることがありそうです。

みやこ哲楽カフェ 訪問

そもそも哲学対話とは?と思った方は、教師塾で開催した哲学対話の記事↓

http://gt-24o.hatenablog.com/entry/2019/08/11/115223

教師塾って何?という方は↓

https://www.facebook.com/kyoshizyuku/

 

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本日は京都まで足を伸ばし、哲学カフェにへ行ってきました。

主催しているのは、京都で高校の教員をなされている二宮 徳次郎さんです。

二宮さんは校内の授業でも哲学対話を行なっています。

 

イベント名は哲学カフェでなく、"哲楽"カフェです。

楽しく一つのことを考える時間になりました。

今回の設定テーマは"死"です。

敬遠しがちなテーマですが、対話のルールを皆で共有して話すことで語り合うことができました。

哲学対話の場に参加したり、場を作るごとに、対等に言葉を発する場の貴重さを感じます。

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大枠のテーマは、死についてですが、そこから皆さんで語りたいテーマを絞って出していきました。決まったテーマは、

「自分で死を選ぶことはゆるされるのか?」

でした。

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[対話を通した私見]

生きること・死ぬことを選択できるのは自分しかいない。

その判断を、自分以外の他者が許すかどうか・良いか悪いかを決める。

という前提があるだろう考えた。

 

この前提で、自分でない他者が命を断とうとした場合、どう考え、どうするか?

この視点では多様な体験を交えた意見があった。

その意見のほとんどが、

死なないように働きかける

という方向性だった。

その上で、死んで欲しくないのか?死んではいけないのか?

という問いが出た。

私は

死んだ人の意見は聞けない。死んでない人は死んで欲しくないと思う人が多いのではないだろうか?と伝えた。

その後は死そのものの話だった。

これについても、様々な表現で意見が交わされた。

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答えはでず、モヤモヤの残る私の好きな対話だった。

主催の二宮さんありがとうございました😊

 

関わり方を決めるのは自分

こちら紹介するのは、立教大学中原淳先生の記事です。

三つの記事からそれぞれ文章を抜粋しました。

www.nakahara-lab.net

「主体的になれ!」と第三者に命令して、第三者が発揮する<主体性>とは、本当に求められる「主体性」ではない

www.nakahara-lab.net

まず「気づかせる」の主語は、「気づく本人」ではなく、そうした状態を外部から「意図的」に促したい「第三者」ですね。ここで大切なのは「気づかせたい」のは「第三者」です。そして、それは「意図的な行為」であるということです。
  
 しかし「気づかせる」という「他動詞的な用語=第三者の意図を感じる言葉」の内部には、「自ら気づく」という「本人の自発的な行為」が内包されています。つまり「気づく」のは「本人」なのです。しかも気づくは「自発性=非意図的」に基づきます。
  
 ということになりますと、まとめるとこうなります。
  
 自ら「自発的」に「気づいちゃう」のは本人。
   
 しかし、
  
 それを「第三者」が「意図的」に仕掛けていって、あたかも「自発的に本人が気づいちゃう」ような状態をつくりだすのが「気づかせる」という行為です。
  
 えーい、ややこしい。
 
 つまり、気づかせるという言葉は、
  
「本人」と「第三者(他者)」
「自発性」と「意図性」
  
 の交差した場所にある用語です。

www.nakahara-lab.net

ひとつ、あなたが「よかれ」と思ってつくった「学びの機会」は、「本来届いて欲しいひと」には届かない
  
ひとつ、あなたが「よかれ」と思ってつくった「学びの機会」が届くのは、本来、そうした機会が必要ではない層(自ら動ける層)である
  
結論、あなたが「よかれ」と思ってつくった「学びの機会」は、「動ける層」と「動けない層」の格差を拡大する
  
 結局、
  
 動くひとは、動く。
 動かない人は、動かない 

 

彼らのことを考えながらも、

戦うのはいつも自分だなと思います。

部通信 part16

今日のことを書きます。

メンバーが12人だったこともあり、6人ずつでゲーム練習をしました。

顧問である私も競技経験がないながら試合に入りました。

バレーボールは見てもやっても楽しいスポーツですが、

6人の中で自分の失敗が続くと辛くなります。

叱咤激励されます。笑

今日で28歳になりますが、全然落ち込みます。笑

しかし、これはスポーツをする時には避けられないことです。

自分との戦いこそがスポーツの醍醐味です。

 

私は外から見ていて、少しできる気になっていたのでしょう。アタマで分かっていてもカラダが全然動きません。苦笑

今日はいい感じでチームに迷惑をかけました。

しかし、収穫はたくさんあります。

部員へアドバイスとして送った言葉や激励をそのまま自分にかけても出来ないことがよく良く分かったからです。

自分がやってみることで指摘するだけでなく、その先の改善へ向かうための声かけをするためにはやってみることがとても重要だとわかりました。

今日の体験で意味で君たちへの尊敬が深いものになりました。

しかし、個人的には、

まだまだ負けたくありません。

まだまだ動けるようになりたいです。

練習に入れるときは入ろうと思います。

没頭しすぎて練習効率が落ちていたり、メンバーの邪魔になっていたら優しく教えて下さい。笑

エデュコレ 〜多様な教育の博覧会〜 in 東海 ブース出店

タイトルの通り、このイベントへブースを出店させて頂きました。

エデュコレ〜多様な教育の博覧会〜 - ホーム | Facebook

こちらの写真は、グラフィックレコーディングを学んでいる方に描いてもらいました。

かなりスマートな印象に描いてもらいました。ありがとうございます。笑

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 私は「教師塾」という、学習会・交流会を2016年の8月から始めました。

活動理念 2019.5.28 - 教師塾 blog

 

始めて3年で、次回の12月22日(日)の開催で14回を数えます。

↓詳細ページ

www.facebook.com

 

東海地方の多様な教育が集まるイベントにブース出店させて頂きました。

関係の方々、主催していただいた方、本当にありがとうございました。

これから教員になる方、すでに教員の方、NPOの方、民間企業の方など様々な人に教師塾の説明をさせて頂きました。

これまで14回開催させて頂き、その都度教師塾の説明させて頂きましたが、今回は1日で今までの説明の回数を超えました。笑

関心を持っていただいたことも嬉しかったですし、これから協力して教師塾を盛り上げていただけそうな方とも出会え、良い機会となりました。

 

教師塾では、

学校にいる先生を「教員」として、

誰に何かを教えたり・支えたりする人を「教師」として位置付け、

「教師塾」という名前になっています。

誰にでも参加いただけます^^

 

今後ともよろしくお願いします。