gt-24o’s blog

思慮深く、大胆に書きます。

なぜ勉強をするのか?

ある友人は、友人の師匠からこう聞いたそうだ。

 

「なぜ勉強をするのか?」と問いが立つということは、その理由がないと勉強をしたくない状態ってことだ。

 

大筋このような表現だったと記憶している。

問いが立ったときの動機や環境・流れにもよるけど、問いにはそんな側面がある。

 

めっちゃ楽しいことをわざわざ、

これってこうで、こうだから楽しさがわいてくるのだよなー!!

と定義はしない気がする。

 

楽しいからその時はすーーーっと、わーーーーっと過ぎる。(はず。笑)

{私はたまに考えてしまうけど・・・笑}

 

哲学は、ある集団または、集団の中にいる個人の諸問題を解決するときに用いられる。

(本日、うんことうんちの違いはなんですか?ニヤニヤ

と質問をしてきた子たちがいたので真顔で無視しましたが。)

 

哲学は好きなのですが、問いを自分で立て続けるのには苦労する。

他者との関わりの中で、ココロに残る、モヤモヤする体験が重なり、

余裕があるときに、じっくり考え、話し合うことは楽しい。

そんなバランスでいいと思う。

 

おわり

素直に喜びます。

先日、職場の大大先輩に、
「西尾くんは人を育てたいんだよね?」
と言われた。

少し急だったこともあり

???

となった。


Facebookを覗いてくれていたみたい。
僕はこう答えた。
「自分も育ちたいです。」(よくいったな。笑)

大大先輩はいわく、

俺は教科(知識)を教え込むことに力を注いだ。
(西尾くんと比べると)恐怖政治で言うことを聞けとやってきた。
そのためにどうすればよいか?と考えてきた。


もちろん、それが彼らのためになると思ってやってきたのだ。
その想いが共有できた。

 

また、
ぼくが驚いたのは、この若輩者の考えの目線と同じところで話をしてくれたことだ。
嬉しかった。
職場での理解は半ば諦めていた。
(今の職場の中にある、教員として望まれる資質に自分が欠ける自覚もあった。あくまで今の職場の中のものだが。)
諦めつつ、それでも目の前の子どものために自分の力を周りと活かしながら伝えていくにはどうしたらと考えながら日々を過ごしていた中での出来事だった。

先輩からは、
君の関心事に関心があるよ。というメッセージが送られてきた気がした。
少なくとも態度で示してくれた。
これは僕が対子どもに接する時にも同じように大切にしていることだ。
それを先輩はやっていた。
だから、僕にとっては大大先輩だし、学校の中でも学校を動かす大切な役割を担っているのだと感じた。
ここにはまだ学ぶことがある。
というか、
教育目的の違い、その目的がなぜ違うのか?

(最終目的は子どもの幸せだ。だから目的というより子どもとの関わり方かな。)
その時代の子どもたちの特徴。
年代が違うことにより、
子どもに対する関わり方に違いがある理由を知りたい。
もっと話が聞きたいと思った。

おわり。

競争社会の中で。

人は前へ進もうとする。

知識、体験を求めるようになっている。

しかし、

評価、競争、派閥…知らぬうちに足を踏み入れていて、他者と比べてしまう。

前へ進むのでなく、

上へ登ろうとしてしまう。

このような世界に居続けるのはエネルギーが必要だ。

上へ登ろうとすると、一時的に止まろうとしてつかまっているのにも一苦労。

 

他者の目や、評価は必要。

もっと大切なのは自分が今に納得しているかどうか。

自分なりの納得だ。

あの人はああいうけど、私はこういよう。

そう思えること。

 

他者の評価を自分の納得にすり替えることなく、

自分だけで無理やり満足するでもない。

違和感を覚えた時に、しがみつくのでなく、

立ち止まり、周りを見渡せること。

これが大切かなと。

 

おわり

 

 

「反応しない練習」 著:草薙 龍瞬

反応しない練習  あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

[理解概要]

考えなくてよいことを自分がたっっくさん考えていることに気づける本です。

ただ、人はどうしても考えてしまう。

この本では、自分の意識とは別のところで、勝手に必要のないことを考え、求めてしまうことを"反応する"と表現していました。

なぜ反応しまうのだろう?

一人で考えて同じところをぐるぐる回ることが大好きな私にぴったりの本でした。笑

 

考えなくてもよい(反応しなくて)ことってどんなことか?

例えば、

「あの人に認められるにはどうしたら良いだろう?」

と考える。

考えたところで、こちらがどんな動きをしたって相手ありきのことなんだからどうなるかなんて分からない。

なんで認めてもらいたいと思っているのか?

思ってしまっているのか?

そのこだわりや執着で自分で苦しめているのなら執着しなければよい。

認めてもらうことが目的なのか?

認めてもらうことで自分の幸せがその先にあるのか?

 

ただ、人は求め、反応してしまう。

だから、反応したことに自覚的であること。

自覚的であることに"正しさ"を見出す。

そうすることで、自分が悩んでいることがいかに妄想であるかを自分で気づけるようになる。

 

考える必要のあることだけ、考える。

正しく自分の心をみつめる。

 

そのために必要な要素の一つとして、

"感じ切る"こと。

感じ切る 時間をとること(作業の時間をとること)で、考えずに済み、今に集中することができる。

 

この本は、日々、読んで心を整えることができるものだと思います。

ぜひ読んでみてください♪

 

おわり

感じ切る

私は考えることが好きなのですが、

感じることをしない傾向にあるようです。笑

 

感じきってそれで良しとすればよいところを、

うまく表現しようとしたり、

定義しようとするクセがあるみたいです。

 

どんなものにも

なんで?

と興味をもつのはよいですが、

それを言葉を使って理解しようとするには限界があります。

 

限界まで言葉で表現し、

自分が辛くなるほどになってきたら

感じ力に任せようと思いました。

 

おわり

はじめての哲学思考④ 記事:苫野一徳さん

第4回 科学とは何がちがうの?(続)|はじめての哲学的思考|webちくま

 

現代の科学技術の進歩はめざましい。その恩恵は、どれだけ強調してもしすぎることはない。
 でもその一方で、「◯◯できる」ことが、即座に「◯◯していい」ということには、必ずしもならない。

原発やスマートドラッグというキーワードが出てきた。

 

みんなのために必要なものか?

 

誰か個人のために必要なものか?

 

その人が本当に必要なものか?

 

おわり

 

本当に必要なものってなんだろうか?

価値共有

多くの人に、"ある価値"を理解してほしいと思うと、

より多くの人に"いいね"を貰う必要がある。

多くの人にいいねをもらうということは、

より多くの人に理解される共通価値を見出す必要がある。

だから、

多くの人にある価値を理解し、受け入れてもらえるということに対する情熱は素敵だと思う。

ただ同時に、自分の中にあるものは出しにくいんじゃないかと思う。(自分の想像だけど。)

 

逆に、

自分の中にある、磨き上げた価値を提案することで、

たくさんの人でなくても、

確実に少しずつ"いいね"がもらえるともいうのも素敵だ。

 

両方素敵だ。

 

価値はどれだけ多くの人に理解されるか?

という基準では測れない。

深さ、浅さでもない。

 

確実にいえることは、

1人くらいは理解してほしいということだ。

 

おわり