gt-24o’s blog

思慮深く、大胆に書きます。

分からなければいけないことなんてない。

テーマの通りです。

大前提中の大前提ですが。

みなさんはどう感じ、考えるでしょうか。

たくさん読みたい

私は、一昨年くらいまで本を読んでこなかった。

読んでこなかったのは、読んだからといって何かいいことがあった体験がなかったから。

読んですらないわけですが。笑

 

現在、私は、「時間ができたら本を読む」と決めている。

決めているのは、「時間ができたら」まで。

だから、読みたいときに読んでいる。

ただ、読んでなさすぎると、読まないとなーって思う。

 

なぜ読むようになったかというと、

読んで、他者と読了した本を話題に盛り上がると楽しいからだ。

また、自身がとても困ったときに助けになることがある。

 

そして、「時間ができたら、本を読む」程度の習慣は付いている気がする。(主観しかないです。笑)

 

年に数冊だった冊数が、

今となっては…数えていないから分からないけど、10は超えてると思う。

もう少し超えてると思いますが。笑

 

もう少し読めそうな気もします。

もう少し読めそうというのは、

自分でノルマを決めて読めそうな気がするということです。

習慣化できそうな気がします。

 

私が本を読んで大切だと思うことは、

読んで、

「ほうほう。それは大切だ。」

と思ったら、確実に生活に取り入れ、実践することです。

それまで、次の本は読みません。笑

イマイチよく分からなくなると、もう一度よみます。

なので読むのが遅いのだと思います。

 

これも一つ読み方ですが

複数の本を読むと、著者が伝えたいことに共通することがでてきます。

「あ、あの本でも同じようなことを言っている気がするぞ…」というやつです。

これを自分の中で抽象化してくると、よい感じに軸がでてきますし、抽象化した内容を様々な表現で著者が代弁してくれているので、情報を整理することにもつながります。

 

読書のペースを自分で決めてみようかなと思ってます。

 

おわり

嬉しいと目的

褒められると嬉しいです。

そして、

褒められることは目的じゃないです。

 

自分の中にある、

褒められて嬉しい気持ちは、

自分で認めてあげましょう。

それは素直ってことだと思います。

 

ただ、褒められることや認められることが目的になると何がしたいが分からなくなります。

 

(他者貢献を軸とした、)

理念があり、

目的があり、

根拠がある。

 

そこを見てくれた上で、

褒められると嬉しいです。

 

ならば、

褒めるときには具体的かつ、

その人にしか使わないような表現で、

褒めることが大切になると思います。

 

褒めるということは相手に、

「あなたのことをよく見ています。」

と伝えることだと思います。

 

おわり

ベース 根底 前提 part2

 

gt-24o.hatenablog.jp

 

より多くの教育機関、いわゆる学校という場所で築かれる、

数多くの人間関係において、共通して大切なこと何なのか。

 

そしてそれが、学校と呼ばれない場所にいっても、変わらず大切なことになりうるのか。

 

教育とはどんな枠組みや形、システムも万能ではなく、少なからず提案をする。

自由がキーワードになる学校も、”自由を強要する”部分があると想像している。

 

それならば、

目の前にいる人のために局所的に考える事と、

全体像を捉えることをしていきたい。

 

おわり

ベース 根底 前提 part1

家庭、保、幼、小中高大、塾

児童館、フリースクール

まだまだ挙げたらきりのない教育機関。

大人と子どもがその環境と、出会いの中で、精一杯考えて、実践し、各々の理想に向かっていきます。

 

高等学校という枠組みでも、目の前の子どもたちは違うので、私たち各校で大切にすることは違って来ます。

一年単位で私たちが意識することは違いますし、

1日単位でも変わってきます。

 

私が想像もできない人たちが私が知らないところで、教育というキーワードで関係を結んでいる。

 

広い世界で行われる教育という関係性の中で、共通して大切にされることは、

私が大切にしていることと、一致するのか。

 

それを追い求めることで、今、目の前にいる子どもと関わる上で大切にすることがみえてくるのではないかと考えています。

 

目の前にいる子どもに関心を持ち続け、

まだ知らぬ関係性にも興味をもち、交流していく。

おわり。

元気!やる気!覇気!

がない日もある。

カラダやココロの調子で、どうしてもって時がある。

ない日といっても、ある日と比べてないだけで、

まあ、0じゃない。

 

100うち99元気で目も脳も冴え渡る日もあるし、

自分の上にもう1人の自分が乗っかってんじゃねーかって思う100のうち元気4な日もある。

 

今日はいけそうとか、やばそうとか、

カラダやココロの声を聞くことはとても大切だけど、

4の日は、4なりに、4でサイコーのパフォーマンスすれば、99元気な日には見えないものがみえると思うんです。

 

やるべきか?やらなくてよいか?って、

自分で自分をジャッジするから辛くなる。

するかしないか、やるかやらないか。

頑張りすぎないでねってことじゃなくて、

頑張るならそれなりに、自分と向き合ってからでいいんじゃないか?

向き合ったら頑張らない日があって当然じゃないか!

って話です。

 

おわり

 

せっかくの休みなんだから

休みの日に、

「せっかくの休みなんだから・・・」

という意識が薄らいできました。

休みと仕事の境目がどんどんなくなっています。

 

休みの日は自分の時間ですか?

では、

仕事の日は誰の時間ですか?

 

まぎれもなく自分の時間です。

仕事という時間を自分がどう捉えるかです。

仕事が面倒だと思うなら、面倒だと思っているのはまさに自分です。

自分を面倒な気持ちにさせているのは、仕事ではないんですよね。

 

ここ一週間の感覚ですが、

先生でいる時間を先生として過ごす自分を、

内在しているもう一人の自分が見ているような感覚を得ています。

忙しくなりすぎて、この時間さえもどう楽しむか?

と考えていたときに、少しずつこんな感覚になってきました。

 

印刷の仕事をしているときは、懸命に印刷をする自分自身にツッコミをいれます。

「印刷1200枚て! ipad!!買ってくれよ!」とか、

ツッコミ自体は全然面白くないですが、つまらない仕事こそこんな姿勢じゃないかって思います。

 

ただ、先生でいる自分と、内在しているもう一人の自分が重なり合うような時間があります。

それは授業だったり、子どもと何気ない会話をしているときとか。

その重なり合う時間って仕事とか休みとか関係なく、長いほうがいいと思います。

いわゆる"夢中"とかそんな言葉で表される状態なんだと思います。

だから、休みの日も仕事の日も、そんな時間を増やしつつ、

つまんない時間の過ごし方を楽しくする工夫を少し考えてみるといいと思います。

おわり