ある人物の考え方や価値観に触れてみて、
それが自分に合っていると思ったとしよう。
また、実生活の中で思うことがあったとしよう
正しいとか、善いとか、美しいとかの自分の中にある物差しが反応する。
細かいところまで自分の言葉で説明出来るようにもなったとして、
その考えがどう正しいか、どう善いか、どう美しいかを過去の偉人から意見と照らし合わせてもみる。
それでも、他者に振りかざしてはいけない。
不安を煽るような情報を元に、こちらに目を向けさせ、
知識を植え付けるようなことはしてはいけないと思う。
「問われれば、応える。」
という姿勢が、価値感の振りかざしを防ぐカタチだと考えている。
教えよう・伝えよう・理解してもらおうという動きが先行し、
それを受ける側に準備ができていなければそれらの知識や情報は効果を発揮しにくい。
問いを発するということは、全ての準備が整った上で、知りたいことを局所的・効果的に知ることができる可能性がある。
問われるまで教えない姿勢が、学ぶ側に学びにおける大切な姿勢(問うこと)を教えることができるのではないかと思う。
問われる方は、全知全能でなくとも、知識をすぐに届けなくてもよいとも思っている。
その人に有用な知識などにたどり着くためのヒントを伝えられたり、
知識への道のりを示すことができれば十分だろう。
それには、問われる方は同時に問う側にいることが必要だと思う。
誰かに問い、学び、誰かに問われ、学ぶ。
知識・価値観は振りかざさず、問われるまで待つ。
おわり