第3章 家族の承認を超えて
・普遍的価値への欲望
「ストア主義」「スケプチシズム」「不幸の意識」のような自己中心的思考のままでは、周囲の人々から見放され、誰からも社会的な諸いう人を得ることはできない。それは他者の評価や思惑を意に介さないで自由にふるまったのだから、仕方のないことである。自己中心的ではなく、自信喪失から引きこもっている場合でも、承認欲求が満たされないという点では同じである。
「ストア主義」「スケプチシズム」「不幸の意識」についてはこの本がオススメ
自分の中で、自分の価値だけを最も高尚なものだと信じ切ることができれば良いのだが、ほとんどの人間はそれが難しい。
でも、認めてほしさばかりで自己表現ができないのも考えどころだ。
本当の意味で、自分の中にある価値をある程度、自分で信じることができる状態へ向かうにはどうすれば良いのか?
他者の承認を介して自らの行為や知識・技能、作品の価値を問い直すようになると、単に身近な人々の承認だけを考慮するのでなく、より多くの人々が承認しえるような価値を求め始める。 その行為や知識・技能、作品のなかに普遍的な価値を求めるようになるのだ。それはもはや単なる承認への欲望ではなく、行為や知識・技能、作品の価値そのものに普遍性を求める欲求であり、ヘーゲルはこの普遍的な価値を「事そのもの」と呼んでいる。
自分の考えや生き方は簡単に変えられるものではない。
しかし、自分の中にある”正しさ”を検証していくには、自分の中にあるものを”叩き台”として皆さんに揉んでもらったほうがいい。
それはちょっと怖いけど、向こう側へ行けるチャンスだとも思う。
ヘーゲルさんの「事そのもの」について
おわり