してもらう喜びを感じることで、
(してもらう喜びを本能的に学ぶのは子どものころなのかも・・・)
自分以外の人にもしてあげることができる。
してあげることに損得や見返りは求めない。
自分がしてもらって嬉しかったから、
それを他人にも味わってほしくてそうする。
そのためには、
本当にしてほしいであろうことをのみをしてあげること。
してもらわなくても大丈夫なことまでやってしまうと、そんなに嬉しさもうまれない。
やってもらうより、自分でやりきることのが嬉しいこともある。
それでもやってもらい続けられると当り前になる。
当り前がなくなると不満になる。
求めてもないものがすでにあるというのも不幸なのかもしれない。
本当にそれはやってもらって嬉しいことか。
本当にそれはあってあげなきゃいけないことか。
本当はそれは誰のためなのだろうか。
おわり