gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

受け入れるという生き方

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名南工業高校の3年生は、テストも終わり、成績も付け終わりました。

そして、それぞれの教科で最後の授業を迎えます。

今の3年生は、私が初任者のときに、2年生で副担任をもった学年であることもあり、関わる時間が長かった学年です。

私は、去年から今年にかけてたくさんの失敗をしてきました。

失敗の大切さ、失敗の本質を実践(授業)の中で共に学び合ってきたと思っています。

 

そんな3年生の、最後の授業でこの動画を一緒に見ました。

3-4,3-5,3-6を授業を持っていますが、3-4の特定の子どもたちはとにかく私の話を聞いてくれません。笑(全然問題ない。笑)

私の話がつまらないから仕方がないとは思っています。

伝達事項は、その子どもたちも、聞かなければいけない情報なので、聞きます。

しかし、私が何かを表現するとなると話は別です。笑

すっっっごく聞いてくれる子たちもいるので何とか話したくて、いつも笑いながら「ちょっと聞いてくれよ~笑」と頼み込んでいます。笑

 

今回は、動画を見るということだったので、さすがに聞いてくれるかと思いきや。笑

そんなに大きな声で話します?っていう声で話すんです。笑

確かに、

自分たちで選択するんだよ。

とは言っていますが・・・笑

2年間のたまものだと思いました。(意外と気付き)

 

動画のテーマが「受け入れるという生き方」なのに、授業開始5分で、話しまくる子どもたちを少しながら、受け入られませんでした。笑

 

ここで大切なのは、聞きたい人達が、聞けているのか?

という一点だと思います。

大きな声で話している人は、他者の配慮が出来ているか?ということ。

(クラスの関係性を築くのは子どもたちなので、ここへの介入は最小限にと思っています。)

間違えても、いうことを聞かせなければとか、自分の話や、題材が間違っていたからつまらないんだ・・・という思考にならないことです。

(振り返りと改善は必要です。)

40人が全員、見たい!と思う映像なんて、最近で言えば、「君の名は」くらいなもんです。

 

誰かが自分の事を受け入れてくれていないと思っている時ほど、

相手の事を自分が受け入れていないことが多いのだと思います。