問題児は知っていると思うし、ある意味では大人だと思う。
私は問題児を問題だと思っていないので、
出来ないのであれば、責任をとればよいと思っています。
ただそれだけ。
もちろん教員の指導力不足もある。
彼らの努力不足もある。
そこは五分五分だと思っている。
(そもそも出来ないことが悪いことだとも思っていない。
出来ないことがスタート。大人が子どもが出来ないことをビビりまくっている。
それは子どもに伝わっていると思う。)
成績会議なんて子どもが悪いことを一生懸命に証明するくだらない場所。
どっちが悪いなんてないですよね。
でも学びの主体者は子どもだと思う。(現状そうでない。)
だけど、支配的な授業で、支配的な外的動機付けをしてきて、
最後の最後の勉強しなかったのは子どもですって何なんだと思う。
「提出物を出させなさい。」って何なんだろうかと思う。笑涙
3年生のこの時期に、、、
「勉強をしてこない。」
「就職関係の書類をださない。」
「今の3年生に今年の求人はもったいない。」
そう言うのはいいんだけど。
どれだけ勉強せずとも、何とかしちゃって来たのは私たち。
やる気がなくても、そこにいればOKにしてきたのは私たちです。
問題児を問題児にしてきたのは私たちです。
問題児が問題児でいても最後の最後で何とかしちゃってきたのは私たちです。
だから問題児は学校の本質を知っている。
結局、何とかしてくれる。
ずっと子どものままでいることを大人が許している。
テストのこの時期になるとモヤモヤしてきます。
ただこれは戦い切れていない自分への怒りなんですよね。
目の前の子どもには伝え続けるという決意でいますので大丈夫。
子どもと大人で、出来なかったことをスタートとして、的確に現状をとらえて、(テストが1点だったなら、99点分わからなかったところが分かったんです。)
出来るようになる一歩を共に踏み出すことが僕らの仕事なんじゃないかと思うんです。
そしてその一歩目は必ず子ども。
子どものためを思うなら、もう少しオトナ扱いした方がいいと思う。
おわり。