gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

向合機会

私は寺子屋塾中村教室へ通塾し、メイン教材のらくだメソッドを毎日取り組んで、9月で4年になった。

gt-24o.hatenablog.jp

 ↑この記事にもあるように、

週に一度の通塾の際に、自宅での学習を振り返っての気づき、寺子屋塾でらくだ教材を終えた後の感覚を書いている。

 

テーマ:向き合うこと

今月は現時点で13日間、プリントをしていない。

ここまで多いのは初めてだと思う。

プリントをやっていないことが悪くて、毎日やれたら良いなんてことはない。

一度でもらくだプリントをやろうとよぎらなかった日も多かったように思う。

らくだプリントをやるかやらないか。この選択が一瞬でも頭をよぎれば自分と向き合うことになる。

自分と向き合う回数があればあるほど、プリントやった体験、やらなかった体験になる。

それのどちらもないと、何も起きない。何も起きなければ、学び起きにくい気がする。

自分と向き合うタイミングのない日が悪いのかと言われればそうではないが、

プリントを自然と毎日やれる自分でないことは確かだろう。

また、こうやってらくだプリントについての記事を書くことで向き合うことについて考えられた。

部通信 part30

全日本予選を終えて

・勝ち負けもだけど

勝負事には勝敗が常につきまとう。勝敗の要因には学年、選手の能力、スタッフの質などあげればきりがない。勝ったから言えることだけど、やはり最も大切なことは勝敗ではないと思う。

大切なのはこれまでできなかったことができるようになっていたこと。イメージしたことができず、失敗をたくさんしてきたと思う。それでもやめずにチャレンジしてきたからこそ嬉しかったのではないかと思う。一緒に失敗をたくさんしてきた俺も嬉しかった。

皆の表情を見ていて、嬉しい気持ちと同時にほっとした気持ちも感じ取れた。結果が出なかったらどうしよう、、という気持ちもあったかもしれない。今回は結果が出たけど、これからまだまだ努力が必要なこと、自分の努力だけでは何ともできないことがあると思う。辺りをみれば、自分よりも優れた面をもってる、評価されてると感じる人間がたくさんいるかもしれない。そんな人たちから刺激されて自分のなりたい像をイメージするのは悪いことではないが、私は私でしかないから、「そんな人たち」にはなれない。俺たちは俺たちのやり方で着実に階段を上ってきた。それに結果が引っ付いてきた。俺たちが選んで、自分の叶えたいことに自分の選択で力を注いできた。何かをかなえるにはそれしかない。自分の現状がどの位置にいようが、落胆せず慢心せずにただ一歩ずつ前に進んむことが何かを叶える前提条件。だから、勝敗にとらわれず自分たちのバレーをやることをこれからもやっていこう。

 

・役割

私はバレーボールが好きだし、良い顔でバレーボールをしている君らと共に過ごす時間が好きです。しかし、 2・3年生はよくわかると思いますが、今年の私は部活に関わる時間が減っています。バレーボールが好きだからと私のわがままで、体育館にいれば担任クラスや電気基礎を毎日勉強しにくる生徒はどうなるか。他の顧問の先生と比較すれば自分はできないことが多いです。しかし、

「チームのためになるにはどうしたらよいか?」

と考え、行動したつもりです。 適切なアドバイスが出来なくても、その選手が少しでも良い状態になる声掛けは?と考えれば声をかけられます。荷物持ちができます。スケジュール管理ができます。ボール拾いもできます。 人にはそれぞれに役割があります。それは与えられるものではなく、自分で見つけるものです。試合にでる、でない関係なくやれることを探してみよう。

 

 

・自分(たち)で考えて、決めて、やってみる。

今年に入って監督の役割の重要性を感じています。コート内ではどうしても見えないことは外から伝えるのは必要です。しかし、自分で考えること、自分たちで結論を出してやってみることはやめてはいけないと思います。チーム内で誰が何の判断をするのかを手分けして、情報を共有して全員がすべての判断に責任をもてるような状態になれればいいなと思います。(とても難しいと思うけど。)

 

・良いバレーボールを求めるなら?

良いバレーボールはするにはどうやら他のメンバーは自分に、自分は他のメンバーに合わせながら 6 人での力を最大化する必要があるみたいです。はたから見て(自分以外の)誰かがどういう風に動いた方がいいかは口では言える。ニュースのコメンテーターのように

当事者のいないところでコメントをしても他の選手の為、チームのため、さしては自分のためになるでしょうか。チームが動かなかった原因を誰かのせいにしていては自分たちのバレーができないのではないだろうか。真剣に他の選手たちと関わって、求め合う。他の選手に言う分、自分もやる。練習からそうやってぶつかっていれば、試合では仲間になれるし、いざというときカバーしてあげられることもあるだろう。練習で思いっきりぶつかって、求めあい、努力を認め合えておけば、いざ試合になってミスしたときにミスをしたメンバーを一人にはしないはずだ。

春高予選1日目

第73回全日本高等学校バレーボール選手権大会

名古屋南支部予選会1日目

3回戦まで勝ち進みベスト4を決めました。

11月に予定されている愛知県大会へ出場が決まりました。

各方面より名南工業バレーボール部に関わってくれた方々に取り急ぎ報告です。

明日は準決勝・決勝です。

生徒がとってもがんばりました。

偉そうな人とは。

私は偉そうにしている人が気になる。

それは私が偉いねって言ってほしいのかもしれない。

偉そうにしたいことを抑えて、偉そうにならないように気をつけているからかもしれない。(我慢してんのかな?)

偉そうにならないように気をつけなんてせずどんどん偉そうにしている(ように私が見える)人や、本気で自分のことが偉いと思っている(と私が見えている)人がそう振る舞うのは、そうしないといけないと思っているのかもしれない。

偉そうなことが気になるのは、偉そうなことがダメなこと、いけないことだと思っているからなのかもしれない。

過去に偉そうな人からたくさん嫌なことをされたからかもしれない。

偉そうな人が気になるのではなくて、他人(私)をコントロールしとうとしてるからかもしれない。

偉そうな人が気になるのではなくて、私の(も)決め(られ)ることをその人が決めてしまっているからかもしれない。

(けど、その人が決めてしまっても、決めないでくださいと言えない自分がいるからかもしれない。

なんの根拠もなく上下関係を持たれているからかもしれない。

(けど、上下関係を持たれてしまっていても、その関係はやめて下さいと言えない自分がいるからかもしれない。)

 

人に向けて書き始めても、こうやって自分に問いを発することで自分の傲慢さを知ることになる。

部通信 part29

3年生にとっては次の予選が県大会への出場をかけた最後の大会になります。

君らは勝てた方が喜ぶだろうと思う。

これまで真摯に誠実に貪欲に、部活動で多くの時間を過ごしてきたからです。

それだけに、試合の勝敗で君らの楽しさやこれまでの時間の意味づけが変わりかねないのは何だか嫌だなぁと思います。

君らの成長に感動し続けてきた私からすると一番大切なことは勝敗以外にあると心の底から思っているからです。

勝てなくてもこれまでの時間は無駄ではないことは私は保証できるけど、君らの勝った姿を見られたら私も最高に嬉しいだろうと思います。

どうか試合を楽しみ切ってください。