gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

部通信 part10

2019.8.28

「言いにくいこと」

コート内6人の良いところを出すには、それぞれが努力し能力を高める必要があります。

A君にaとbの能力があり、B君はdとeとfの能力があるとします。

A君はcに苦手意識が有り、能力開発をためらっています。

B君はA君のcの能力がないために、fの能力を存分に使うことができません。

このとき、A君がcの能力を高められれば良いのですが、どうもその動きがない。

A君的にはcに目を向けたくないようにも見える。

さぁどうするか。

周りの人間がA君に言いにくいとためらっていては、チームが前に進みません。

ここで思いやりのない言葉をA君にかけるだけでは、A君の成長は見込めないでしょう。

A君がcという能力を発揮できないことを、怒っても何も変わりません。

それでも、言わなければならないと思うなら、真剣にかつ怒りを持ち出さず淡々と事実を伝え、一緒に考え、対策をとる準備があること加えて伝えると良いです。

共にcの練習を皆でやってみたり、cの能力を高めるために勇気ができるような言葉をかけたりするのも良いでしょう。

 

A君がcの能力の存在に気づいていて、諦めている場合は誰が何を言おうと難しいです。

ですので、cではない能力に着目してあげることも大切な事でしょう。

 

言いにくいことを、言うか言わないかは、その人と共に時間をかけて課題に取り組むきがあるか、またその人がその課題を自覚にどうにかしたいと思っているかどうかがポイントになりそうです。

 

「苦手はうまくなり証拠」

井上淳之典さんの言葉をお借りします。

井上 淳之典 - 【本日のつぶやき考現学】 苦手意識の裏側には、 いつも「できる自分」でいたいという... | Facebook

苦手意識の裏側には、
いつも「できる自分」でいたいという
プライドが隠れている。
 
「できない体験」を辛く感じるのは、
「できない自分」という現実に
直面したくないからに他ならない。
 
つまり、「できない自分」に落ち込み
否定的評価を与えているのは、
世間でもまわりの人間でもなく
他でもない自分自身だ。
 
でも、ほんとうは誰もが
「できるようになりたい」と
心の底ではおもっているのだから、
その本心をごまかさず、
自分のなかにある意欲として
そのまま素直に認めるだけでいい。
 
だから、苦手意識を
克服する必要などなく、
自分の苦手意識を
「しない理由」にせずに、
苦手意識をもったまま
淡々とやり続けさえすればいい。(2017.2.14)

生きるとは生かされること part3

生きるとは、生かされること 著:平井雷太

から、内容を引用しました。

過去の記事は↓二つです。

gt-24o.hatenablog.jpgt-24o.hatenablog.jp

 

その人なりに誰でも育つ

育ちたい人しか育たないにもかかわらず,私は教育の現場に身を置き教育的行為を日々行っているのであるから、なんという無駄なことして過ごしているのかと思う。私がこんなことをしていることと、人が育っていくこととは無関係であってほしいと願っているが、ときには平井さんのおかげでと感謝されることがある。こんなときはただただ恥ずかしい。しかし、何も言われないと、あのときの俺のおかげでああなったのに少しは感謝してもいいんじゃないの、とすねている私もいる。こんな私を実に始末におえないゆがんだ人間かと思い、またそんな自分をどこかで妙にいとしくも思っている。

私が教育になぜこんなに深入りしてしまったのか、それはまさに学校教育の影響。尊敬できる教師と1人も出会えなかったおかげ。反面教師としての学校及び教師が、私の中に「育ちたい」という欲求を育ててくれた。徹底した教育に対する嫌悪が私の教育に向かわせたとも言える。そこで問題意識が私の中に育まれた。私が今まで生きてきて、この人のおかげと思う人が何人かいるが、その人には私を教育したという意識はさらさらない。私が勝手に影響を受けただけ。いつ・どこで・誰が・何から・誰から影響を受けるということを計算できないが故に世の中おもしろい。また、「育ちたくない」と思っている人はいないと思っているから、あえて「育ちたい」という気持ちにさせる必要も感じない。果たして、そんなことができるのかとさえ思っている。私がしていることは、ただ私のしたいことをしているだけ。毎日気づいたことを書くのも、私のため。しかし、これを見て私も書いてみようとやっている人が全国に百人以上はいると思うが、それは私と無関係。その人が勝手にやっているだけの話。「人はどんな環境にいても育ちたいと思っている人しか育っていかない」は、「人はどんな環境にいても育ちたいと思う思わないにかかわらず、その人なりに育つ」と言った方が、より私の気持ちに近いかもしれない。

[感想]

学校に勤めていながらも、ここに書いてある感覚は自分の感覚にかなり近い。

ここの書かれたことが私のベースにあるので、学校では学校の当り前に合わせつつ、可能な限りのこの感覚で人と接している。

特に子どもたちとは、このような感覚で接しているので、時よりさみしさを覚えることもある。笑

しかし、当然ながら学びたい人は教員にも子どもにもいる。その人たちと過ごす時間は楽しい。

そうじゃない人と過ごす時間がほとんどなわけだが、それを嘆いても仕方がない。

 

自分が書いているブログを子どもたちに紹介したり、

学校外で開いている学び場に来てくれたりしている。

自分のやりたいことをやって、それに共感してくれる人との関係を大切にしたい。

やっていないと言えないこと

私は今までに、
「あなたができないのに(誰かに)言えないでしょう。」だったり、
「あなたがやってないのに(誰かに)言えないでしょう。」と、
諸先輩方に言われることが多かったように思う。
それは、高校時代に2年間キャプテンをやらせてもらったことや、高校教諭という職業柄もあるのだろう。

[高校時代]
「あなたができないのに(誰かに)言えないでしょう。」というのは当時、辛く感じた。
要するに、「下手なお前に言われたくないわい。」ということだ。
能力的な問題で口を出せないのは辛く感じていた。
この問題のそもそもの原因は、人間関係の築き方だろう。
出来る・できないという能力でしか人を見ていない感覚が自分にあった。
3年生になるタイミングで監督が代わり、新監督の提案でキャプテンの変更に至ったわけだが今では、そうなってもおかしくなく、私にとっては大きな転機だったと思っている。

[教員になり、今日まで]
教員になると、
「あなたがやっていないのに(誰かに)言えないでしょう。」と言われるようになった。
これにはある意味納得していたが、最近、認識が変わってきた。
教員になってすぐの認識では、
「あなたが(辛い努力を)やっていないのに(生徒にやれと)言えないでしょう。」
という認識だった。
しかし、今の私の認識は、
「あなたがやっていないのに(やり続けていないのに)、やっている(やり続けている)人の感覚がわからないから何かを言ってあげられないでしょう。」
に変化してきている。
まず、やるかどうかはその人の自由だ。
ただ、その人が必要になったときに、自分がやっていなければ力になれない。

バレーボール部顧問をさせて頂いているが、
自分が選手より能力が高いことなんてほぼない。私に実績も経験もない。
でも何も言えないわけじゃない。
レーニングは自分なりにやり続けられる。
マネジメント論も学び続けられる。
強豪校や実業団のYOUTUBEは見続けられる。
“自分なりに”やれることはある。
変化し続ける人と関わっていくには、コツコツと自分なりに自分が変化し続けることだと思う。

 

まとめ

言いたいからやるというのは違う。偉そうにしたいらやるというのも違う。目の前にいる人の力になるにはそうするしかないからやる。くらいかなと思う。

心身反応

中3-14

8:32

ミス3

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8月振り返り

4月から7月の1学期はできるだけリズムを変えずに過ごす。

変わって8月は変化のあるリズムで過ごす。

どちらが良い・悪いはない。

リズムが一定である心地よさもあれば、

変化のある過ごし方に新鮮さを覚えることもある。

しかし、ココロやカラダは1つで何かに反応するにも限界がある。

リズムが一定だろうが、変化があろうが、

どこかでゆったりする時間を作ったりしながら、自分と寄り添っていけるといい。

 

そういった意味では、

「らくだプリントが毎日、できている。」

というのは、バランスの良さを表すバロメーターかもしれない。

 

毎日やろうともせず、自然とプリントと向き合えているときは、大きくカラダもココロも磨耗していないようなときなのだろう。

適度に動いていて、かつ疲れてもいない。

このバランスをアタマでなく、カラダが勝手に作れるといいと思う。

沖縄旅行 part2

沖縄は海が綺麗だった。

平日で多くの方は仕事をされていたが、心なしか穏やかな印象を受けた。

(実際に働いて、住むとなれば話は別だろうけど・・・)

 

ホテルの受付の青年と少し話した。

愛知県の豊田市出身だとのことだった。

沖縄県の魅力に惹かれて移住したとのこと。

その青年曰く、那覇市内の50%は沖縄県外からの移住者であるとのことだった。

 

私が沖縄に住んでみたいかはさておき、

移住してみよう!と決めてしまえば、環境はガラッと変わる。

当然のことようだが、選択肢から完全に消していた自分に気付いた。

 

旅行だけではわからないけど、どんな土地で生きていくかも考えてもいいなと感じた。