gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

みんなのために

みんなに

平等に

全員に

すべてを

分け隔てなく

というのは、不可能だ。

だけど、目指したい。

 

目一杯に出し惜しみなくやっている。

が、

やれている?出来ている。

と思えたところで綻びが出始めている。

 

というのが、嫌だと頭では分かっているので、

より皆をよく見る。

時間をつくる。

 

それでも限界があると感じる。

 

そしてまた明日からよく見て、

時間をつくる。

声をかける。話をきく。

 

それでも溢れる。

それでも諦めない。

 

日々、繰り返す。

 

おわり。

自分がみる自分

自信の上には奢りがあり、

謙遜の下には卑屈がある。

by 片岡鉄心

 

ダイヤのAを読んでいて出てきた言葉です。

この言葉から感じことを。

 

 

他者との関わりの中で常に自分は変化するものだと思う。

自信があふれる時だって、

卑屈になるときだってある。

 

どんな環境でも、どんな体調でも、どんな相手にも…

いかなる時でも、常に変わらない自分でいることは難しいと感じる。

(それでも変わらない軸は必要だと思うし、色んな環境に身を置いて変わらないことこそ、最も自分が大切にしている事かもしれない。)

 

色んな自分に出会う中で、

この頃自分が二人いると感じる。

これは自分にとってはよいことだと思っています。

自分が、自分の前にいるような感じがします。

二人とも紛れも無い自分です。

 

自分が投影してる自分と、実際に存在する自分とも言えばよいかと思います。

 

色んな自分に出会わせてくれる環境があるおかげでバランスが取りやすくなっています。

ありがたいです。

 

おわり

爽やかに疲れたい!

私たちは何に疲れてるんだろう?

 

私なら、子どもたちとの交流の中で、気を遣い、気を遣われながら、みんなで楽しむ方法や成長するための営み、時に感動して、時に落胆する。

そんなことに疲れたい

 

疲れることは、悪いことじゃない。

疲れ方が問題かなと。

 

疲れ方にこだわろう。

よい疲れ方をした日は、よく寝られる。

 

そんな日を増やしたい。

 

おわり

覇気

私は、朝と帰りのST(ショートタイム)で連絡をしたり、伝えたい事を話します。

40人の子どもたちの5~10分という時間を頂いています。

STにて、

円滑な伝達と、豊かな表現をするのに大切な要素になると思っているのが、

週刊ジャンプで連載中の超絶人気漫画「ONE PIECE」に出てくる要素の一つ、

「覇気」

です。

くわしくはこちら。

覇気(ONEPIECE) (はき)とは【ピクシブ百科事典】

 

[武装色の覇気]

自分の話を聞いて欲しくて、

・彼らの大きな喋り声より、大きな声で伝える。

・「話させろ。」と言わんばかりの顔をして待つ。

・彼らの行動にまで影響させるために、必要以上に恐怖観念で動機付けする。

・少し怖い顔で話す。(これはやったことないですが。笑)

などは、自分に合わないなーって思っています。

 

今は、普段と変わらない声で話します。

話し始めはガヤガヤしますが、気づいてくれることが多くなって、武装色の覇気を使わなくても話を聞いてくれるようになった気がします。

 

[見聞色の覇気]

これは、私が発するものではないです。

見られている、聞かれている、興味を持たれていると感じる彼らが感じるもの(覇気)です。

朝と帰りに40人、一人ひとりの様子を見て、必要なら声をかけます。(授業でも同様)

今はこちらの方が大切だと思っています。

一人ひとりの様子は毎日、違います。
それが40人集まりますから、クラス、教室に入ったときの空気が違います。

その理由を探るためには必要なことです。

 

緊急性のある連絡の場合は、

武装色を使わざる得ない場合もあります。

でも、見聞色がないと危険だと思っています。

日々、見聞色の覇気を感じてもらいながら、

時たまに顔を出す武装色の覇気がバランスをとることで、はじめて話は聞いてもらえるのではないかと思っています。

 

覇気の修行に励みます。笑

 

次回は覇王色について書きます。

おわり

みんな違って、みんな良い part3

 

gt-24o.hatenablog.jp

 

gt-24o.hatenablog.jp

 

「みんな違って、みんな良い」

 という言葉は、

「みんな違うんだから、みんな好きなことしようぜ!」

という意味じゃないと思っている。

最終的には好きなことしてもらえばいいんですが・・・笑

(結局、好きなことしか出来ないとも思う。さらに言うなら、あなたが選んだその選択があなたの大好きなことだとも思います。)

 

「みんな違って、みんな良い」とは、

他者の”違う”部分を認識していくための大前提のルールだと考えています。

そして、”違い”を分かりあうことが、人との関わりの中で大きな喜びにもつながると考えています。(人の一番の喜びともいえるかも。)

 

”違う”ことって、意見が合わないとか、協同できない時などの原因に使われることがあります。

しかし、ウマが合わないとか、話が合わない理由を”違う”せいにしても、何も前に進まない。

それはこの世の中に”同じ”人はいないからです。

 

”違う”ことは前提として、

お互いの”違い”を知っていくから楽しい。

だって、いつも共にいる仲の良い人を考えてみてください。

すごく自分と”違う”人じゃないですか?笑

 

ということは、

自分の好きな”違い”をもつ人、

自分が一緒にいて安心する”違い”をもつ人、

自分が一緒にいて成長できそうな”違い”もつ人

が仲が良い人なのでは?

と私は考えます。

 

「あの人は私とここが違いすぎて無理だ!」

とか思っている場合、

自分の嫌いだと思っている部分が、その他者にもあって、そこが嫌いだったりする。笑

違いすぎて嫌いだと思ってる人ほど、似た要素を持ち合わせていたりする。笑

そういう人ほど、分かりあう楽しさがあったりするのではないしょうか。

(大変なので、私は全員と分かり合おうとは思いませんが。しかし、このブログを読んでくれる方は仲良くしてください。笑)

より”違い”を楽しみたいです。

 

おわり