gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

みんな違って、みんな良い

どんな自分も、自分で受け入れてみようとしている人は、

自分と違う他者のことを、他者の立場にたって受け入れようとする。

 

自分に出来ないこと、やりたくないこと、苦手なことがあるように、他者にも当然ながらそれがあると想像しようとする。

それは、人と人との関係で深いつながりをもたらす気がする。

違うことが大前提にあれば、違った上でどうするかを考えればいいわけだから、"否定"されるかも知れないという思考に至るタイミングが減ると思う。

 

このような人との繋がりを持とうとする人と、そうでない人が意見交換をするときが、少し大変な気がする。

 

正しさの追求していくことは、時として必要だ。

しかし、それを押し付けるのは良くない気がしている。

 

押し付けられたと感じた時に、押し付け返すと、かなり不毛なやりとりになる。

押し付けられたとしても、

「それはあなたの1意見として受けとめます。」

と正しさの追求バトルの会場から降りた方が良い。

 

僕はこう思ってます。

あなたはどうですか?

これでいいと思うんだけどなー