gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

頼る 頼られる

私は、

頼られることより、

頼ることのが自分を試すことになると思っている。

さらに言うなら、頼りやすい人に頼むときこそ試される。

(試すという言葉は少しきついかも知れませんが。)

 

面倒だと思われていないか?

とか、

これは自分でできたかな?

とか、

あれは頼ったんだから、これはやりきらないと。

とか。

 

考えたところで、頼った相手の考えていることなんて、一生わからないわけですが。笑

 

ただ、

「この人に私は頼られるいる!?少し嬉しいな・・・」(嬉しいの具合は、「少し」であることもポイントだと思っています。)

 

と思われたとして、自分も助かったとしたら。

とても良い関係が築けているし、今後良い関係になっていく気がします。

 

立場が違えば、「頼る」が「指示」になったりします。

(指示と頼るをわけることも大切だと考えています。)

 

人との関わりの中で対等であることを大切にしていれば、

頼り、頼られる関係になっていくと思います。

このような関係を大切にしたいです。

また、もう少し頼って生きていけたらとも思います。

 

おわり

たくさん読みたい

私は、一昨年くらいまで本を読んでこなかった。

読んでこなかったのは、読んだからといって何かいいことがあった体験がなかったから。

読んですらないわけですが。笑

 

現在、私は、「時間ができたら本を読む」と決めている。

決めているのは、「時間ができたら」まで。

だから、読みたいときに読んでいる。

ただ、読んでなさすぎると、読まないとなーって思う。

 

なぜ読むようになったかというと、

読んで、他者と読了した本を話題に盛り上がると楽しいからだ。

また、自身がとても困ったときに助けになることがある。

 

そして、「時間ができたら、本を読む」程度の習慣は付いている気がする。(主観しかないです。笑)

 

年に数冊だった冊数が、

今となっては…数えていないから分からないけど、10は超えてると思う。

もう少し超えてると思いますが。笑

 

もう少し読めそうな気もします。

もう少し読めそうというのは、

自分でノルマを決めて読めそうな気がするということです。

習慣化できそうな気がします。

 

私が本を読んで大切だと思うことは、

読んで、

「ほうほう。それは大切だ。」

と思ったら、確実に生活に取り入れ、実践することです。

それまで、次の本は読みません。笑

イマイチよく分からなくなると、もう一度よみます。

なので読むのが遅いのだと思います。

 

これも一つ読み方ですが

複数の本を読むと、著者が伝えたいことに共通することがでてきます。

「あ、あの本でも同じようなことを言っている気がするぞ…」というやつです。

これを自分の中で抽象化してくると、よい感じに軸がでてきますし、抽象化した内容を様々な表現で著者が代弁してくれているので、情報を整理することにもつながります。

 

読書のペースを自分で決めてみようかなと思ってます。

 

おわり

嬉しいと目的

褒められると嬉しいです。

そして、

褒められることは目的じゃないです。

 

自分の中にある、

褒められて嬉しい気持ちは、

自分で認めてあげましょう。

それは素直ってことだと思います。

 

ただ、褒められることや認められることが目的になると何がしたいが分からなくなります。

 

(他者貢献を軸とした、)

理念があり、

目的があり、

根拠がある。

 

そこを見てくれた上で、

褒められると嬉しいです。

 

ならば、

褒めるときには具体的かつ、

その人にしか使わないような表現で、

褒めることが大切になると思います。

 

褒めるということは相手に、

「あなたのことをよく見ています。」

と伝えることだと思います。

 

おわり

ベース 根底 前提 part2

 

gt-24o.hatenablog.jp

 

より多くの教育機関、いわゆる学校という場所で築かれる、

数多くの人間関係において、共通して大切なこと何なのか。

 

そしてそれが、学校と呼ばれない場所にいっても、変わらず大切なことになりうるのか。

 

教育とはどんな枠組みや形、システムも万能ではなく、少なからず提案をする。

自由がキーワードになる学校も、”自由を強要する”部分があると想像している。

 

それならば、

目の前にいる人のために局所的に考える事と、

全体像を捉えることをしていきたい。

 

おわり