文化祭で哲学対話 当日後編
午後からは、私以外の先生や保護者の方、事務員の方も参加頂きました。
テーマは
・緊張とは何か?
・デキ婚は何が悪いのか?
・正義の名のもとに人を殺めてよいのか?
でした。
対話の参加者の先生が文化祭でのコンサートを控えていて緊張しているという状況からテーマになりました。
それぞれ、緊張を緩和するための考え方を伝えていました。
「先生の歌声をみんな聞きたいと思っています!」
という方向性と、
「誰かが聞いているとリアルに想像するからいまいち!みんなじゃがいもだと思おう!」
という方向性に別れました。
どちらがその先生に合う考え方なのかを探っていくと、
先生曰く、
「自分の歌声に自信がある。だから、聞いている人に下手だなんて思われることがあると思うと緊張してしまう。」だった。
この意見から、先生の歌声をみんなが受け入れてくれるものだと勇気づける方向で話が進んだ。
ライブがあるとのことで、先生がと途中退席した。
対話の途中でライブが始まったので少し中断してみんなで聞いた。
(対話をして、問題を共有したばかりだったので皆の興味が向いているのが分かった。)
「んー・・・マイクの性能の問題じゃないか?笑」
という意見も出ていた。笑
デキ婚は何が悪いのか?
では、テーマを振った参加者がTOKIOの城島さんの話を例に出した。
このテーマに入ってすぐ、保護者の方から自らがデキ婚であると打ち明けてくれた。
私は、
デキ婚そのものの善悪の話なのか、デキ婚を悪いと言っている誰なのかわからない世論の話をしたいのか?と問を変えてみた。
両方ききたいようだったので、デキ婚で今日これまでどうだったのかを参加者の保護者の方に色んな質問をぶつけて、答えられる範囲で答えてもらった。
保護者の方が城島さんの場合は、芸能界で長く活動して自立した大人である人がなぜ順番を間違えたのか?という見方をする人もいるのでは?という意見も出してくれた。
このテーマでは、
経験に即して話すというルールにおいて、
経験のない人は話しにくい。
しかし、いろいろ聞ける。
答える人も話せる程度で答えられる。
場の貴重性を感じながら、慎重に対話を進める必要性を感じた。
一人の保護者の方しかおらず、多様性に欠ける意見だったかもしれないけど、
貴重な意見だった。
正義の名のもとに人を殺めてよいか?
様々な条件で“例えば”の話が出てきてしまった。
条件によって、正義のカタチは変わることは分かった気がするが、
その条件は無限に出てくる。
“正義“という言葉の意味について語るように場を循環させられれば良かったかと感じた。
30名弱の人たちに対話に参加してもらった。
参加者の方々は口々に時間が足りないと言っていた。
そしてモヤモヤしていた。
日頃、一人で考えると怖くなってしまうようなことも、皆で輪になりルールに基づき考え・語ることで、一歩を踏み出せるのではないかと感じた。