[何もしない]
”教えない”ことで教えたいことがある。
けれども、”教えない”ことも”教える”と同じように押しつける部分がある。
「主体性を伸ばしたいから自由を与える。」にも、自由を強要している部分がある。
(「自由を与える。」と言っている時点で自由でない気もする。)
では”何もしない”とはどんな状態か。
① 学びの主体者に興味がない。
→ これがなければ何も生まれない。
② ”教えない”という手段に囚われている。
→ どちらかが良い!これ必ず良いからやらせる! では、
”教える”ことの強制と何らやっていることが変わらない。
③ 学びの主体者を見続けるという、責任を負っていない。
→ ”教える”、”教えない”のバランスを保つためには、学びの主体者のことを見続ける
(決して管理するわけではない)ことが大切。
教える側はいつもバランスを見ながら、適度な距離感をとっていく。
そして何より、共にする時間が何よりも大切。