行ってきました。
相田みつをさんの長男である、
相田一人さんが館長であります。
こちらに伺う前の相田みつをさんの印象ですが、
やんわりとしたおじいさまが、
世の皆を癒すべく、優しくも、気づきのあるような短い言葉を独特な字体で書き上げ作品としている。
と思ってました。
しかし、蓋を開ければとんでもなく。
画像右側のように、書の大会にでれば頂点をとることのあるガチの腕前。
己の世界を究極的に表現するために左のような字になっていったそうです。
また、相田さんは詩人であり書道家であった。
詩を書くときは詩を書く。
書を書くときは書を書く。
詩を考えながら、筆をとることはなく、
書を書くときは30畳あるアトリエの足場なくなるくらい、
失敗した書を燃やし、風呂が沸くほどの量だったそうです。
詩は詩の分量。
詩を凝縮した書が皆さんが見たことがある書になります。
書の前には必ず詩があり、その詩にも心を奪われました。
バインダーと鉛筆が用意されていて、メモが出来るようになっていましたので、2つほど記録してみました。そのあとすぐメモの意味がないことに気づきやめました。
同じ文字の羅列が、ここまでの違いがあることを想像していなかったからです。汗
相田みつをさんは、僕が生まれた一ヶ月後にこの世を去りました。
この世を去った後に、
がじわりじわりと世に広まりはじめました。
これらの話は、臨時でなぜかなんとなく開かれた相田一人館長によるミニレクチャーで聞けた話です。
相田一人さんも、クセのある素敵な方でした。笑
相田みつをさんの作品に心を打たれました。
そこには、見えていない物語や事実がたくさんあったのたのだと思います。
おわり