gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

課題燻出

高校ー6 2/3(12~21)

ミス3

10:26

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プリントの合格基準は目安時間とミスの数だ。

これは一度に1枚のプリントを実施した際の基準である。

事実であるこの基準以外は自由であるはずなのに、

プリント学習を行わないという事実が多発する。笑

 

プリント学習を行う目的(課題)は学習者の数だけ存在する。

ただ、この目的がプリントを行う前に明確な人は少ない。

大人がなんでプリント学習を行うのか?と問いたくなる。

私もプリント学習を行う前はそうだった。

でも、やってみるほど課題が出てくる。

誰かや何かに課題に向き合わされるのは苦痛だが、自分のペースで向き合える課題は辛すぎない。言い換えれば、この学習では解決できる課題しか立ち現れない。

プリント学習を通して、自分にどんな癖があるか、考え方、生活習慣に至るまで、

プリントと向き合えば向き合うほど、幅広く問われる。

(なぜ問われるかと言えば、私は職業柄、「毎日少しずつ勉強をすると良い。」と伝えることが多いのだが、自分が数学のプリントを毎日できないからだ。笑 いつでも・どこでも自然に勉強できる事が最強なのではないかと考えている。詳細は以下の記事へ。)

240rakuda.hatenablog.com

プリント学習が辛い時ほど、できない時ほどそこには自分の盲点・死角に潜む思い込みが存在する。

どんなに自己観察をしようとしても、頭で考えているだけではなかなか見えてこない。自分の死角にあるものを見ようとするほど難しいことはないからだ。

そして、この思い込みはプリント学習の垣根を超えて日常生活の課題に直結していることも少なくない。(否、とても多い。笑) 

これらの課題を燻り出すのに、このプリント教材をしようしているが、このプリント教材を通して気づいたことを学びに変える道案内をしてくれる人、ともに学ぶ仲間も大切な大切な要素だ。

大切な人へ

人はみんな違う。

そして、ちょっと違った。

それだけのこと。

だけど、

あなたが大切な人だからこそ、

求められることに素直に心から応えられない自分に苦しんだ。
でも、私は自分を責めてはいません。
あなたも自分を責めてはいけません。
私があなたを大切にするように、私は自分を大切にしている。
だから、あなたも自分を大切にして下さい。
お互いがお互いを大切にしてきたからこそ、

これからもお互いを大切だと思える関係がここにあるように思えます。

なんてね。

最後の問 part6

part1の記事よりこのシリーズの説明を。

 

3年間共に学んできた、担当2クラスの最期のテストにて“最後の問”なるものを出してみた。

問いの内容は、

”これまでの授業と日常生活の中から、西尾が伝えたかったことは何だろう?また、授業や日常生活の中で感じたことや学んだことがあったら書いてみてください。”

というものにしてみた。

テストの時間に書いてもらったものなので、時間のある人が簡単に書いてくれればいいなぁと思ったのですが、かなりの数が集まったので、このコメントから色々と記事を書いてみる。(ブログ掲載許可取得済み)

 

以下はpart6の内容

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強いられない、自分からやる勉強とはどういうものか。

多少強いられないと勉強ができないことに気づいた。テストがなければタイピングなどしかしなかっただろうと感じた。

自分(生徒)の中で、本当に必要なことは自然と学べる。

本当に必要なこととは、自分の近しい人のためや仕事のため、自分の使命に必要なこと、心の底から楽しいことなどがあるだろう。

やるかどうかも選択するまでもなくやっているようなことは言葉の通り、強いられなくてもできる。

だから、授業内容やそれに伴うテストという縛りがなければ勉強をしなかったのでは?

という気づきを書いてくれた。

しかし、その縛りなければないなりに学ぶことはできると思う。

それに、学ぶというのは、

「学校にきて教科書とノートとPCを使ってやるもの。」

でもない。

どこでも、誰からでも、何からでも学べる。

そこまで気付けて、その先の学びを自分で構築するところまでいけるような授業を作っていく。

最後の問 part5

part1の記事よりこのシリーズの説明を。

 

3年間共に学んできた、担当2クラスの最期のテストにて“最後の問”なるものを出してみた。

問いの内容は、

”これまでの授業と日常生活の中から、西尾が伝えたかったことは何だろう?また、授業や日常生活の中で感じたことや学んだことがあったら書いてみてください。”

というものにしてみた。

テストの時間に書いてもらったものなので、時間のある人が簡単に書いてくれればいいなぁと思ったのですが、かなりの数が集まったので、このコメントから色々と記事を書いてみる。(ブログ掲載許可取得済み)
以下はpart5の内容

f:id:gt_24_o223:20200306183012j:image

普通の考えにとらわれないようにした方がいいということを伝えたかったんだと思いました。なぜなら、1つ物事に対してもいろんな方向から考えるようにしていたからです。

また、電力の授業の時間でも、周りが電力の勉強をしていなくてもここでやればいいというのはとても驚きました。

 

・普通の考え?

”普通の考え”というのは、色々あるでしょうが、学校にいる多くの人が考えている常識的なルールや慣習のことを指しているのだと思います。(同意しているかは別として。同意形成する場もない・・・)

私から見える”学校の普通”もこの生徒から見える”学校の普通”も違うでしょうが、

私はそういう一つ一つを皆に問いかけながら、自分の意見も話す機会がありました。

不合理なルール、不必要な慣習に意見を言いながらも、実際に取りやめたり改善する事ができないこともありました。(変えられた事のは少ない。)

改善できないことに気づいていながら口だけを動かして、私自身も被害者ヅラしているところもあったと思います。(これは生徒に悪影響になると痛感しています。)

少しでも生徒と共に行動を起こしていきます。それが学校にちょっとした変化をもたらすことにつながります。

 

・授業のこと

その教科の授業では、その教科を学ぶこともこの生徒にとっては普通のことだったのでしょう。

授業の目的や、授業の狙いを明確に設定すればするほど、不必要になるルールもありましたし、必要になるルールもありました。

私は各自の自学自習を多様な形で評価をしたいという思いもありつつ、各自に有意義な時間の使い方をして欲しかったので、学習内容も任せていました。

ほとんど学習に向き合えない生徒もいましたが、いかにやらされないと自分がやらないのか?

を知れるだけで大きな財産だと私は思っています。

これを書いてくれた生徒はどんな授業形式でも、学ぶことはやめないタイプです。

それでも、授業によってのやりやすさ・やりにくさを適切に捉えているようでした。

どの授業がよく・悪いか?という二次元論でなく、各授業の特徴を捉える。

これはまずは自分から学んでみる(とりあえずやってみる。やり切ってみる)という姿勢の現れであり、素敵な姿勢を持っているなぁと感心しました。

言われた通りに盲目的にやり続けるでなく、

勝手に判断してやってみることを全くしないでもないバランスが大切だと彼から教わりました。

自然状態 part2

高4

15:40

ミス:4

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自然状態 - 240rakuda

前回、自然状態という記事を書いた。

ご飯食べるように、歩くように、勉強しようと意気込まなくても勉強しているようになれることのが、頑張るよりいいんじゃない?

って話をしている。

 

じゃあ私は勉強を息をするようにしているのか?

と自問すれば、まだ頑張ろうとしている。

何かのためでなきゃ勉強をしないし、

勉強した日は高揚感がある。

歩いても、呼吸をしても高揚感はないだろう。

新たな世界がどんどん見えてくることが当たり前で、自分をどんどん塗り替えていくことが当たり前になると楽に前に進める(んじゃないかと思っている。まだその感覚はない感じだ。)

ただ、勉強をしたくなるタイミングは増えたように思う。

頭でなく、カラダカ求めるタイミングは増えている(気がする。)

これも日々の自分の有り様だろう。