gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

大切な人へ

人はみんな違う。

そして、ちょっと違った。

それだけのこと。

だけど、

あなたが大切な人だからこそ、

求められることに素直に心から応えられない自分に苦しんだ。
でも、私は自分を責めてはいません。
あなたも自分を責めてはいけません。
私があなたを大切にするように、私は自分を大切にしている。
だから、あなたも自分を大切にして下さい。
お互いがお互いを大切にしてきたからこそ、

これからもお互いを大切だと思える関係がここにあるように思えます。

なんてね。

最後の問 part6

part1の記事よりこのシリーズの説明を。

 

3年間共に学んできた、担当2クラスの最期のテストにて“最後の問”なるものを出してみた。

問いの内容は、

”これまでの授業と日常生活の中から、西尾が伝えたかったことは何だろう?また、授業や日常生活の中で感じたことや学んだことがあったら書いてみてください。”

というものにしてみた。

テストの時間に書いてもらったものなので、時間のある人が簡単に書いてくれればいいなぁと思ったのですが、かなりの数が集まったので、このコメントから色々と記事を書いてみる。(ブログ掲載許可取得済み)

 

以下はpart6の内容

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強いられない、自分からやる勉強とはどういうものか。

多少強いられないと勉強ができないことに気づいた。テストがなければタイピングなどしかしなかっただろうと感じた。

自分(生徒)の中で、本当に必要なことは自然と学べる。

本当に必要なこととは、自分の近しい人のためや仕事のため、自分の使命に必要なこと、心の底から楽しいことなどがあるだろう。

やるかどうかも選択するまでもなくやっているようなことは言葉の通り、強いられなくてもできる。

だから、授業内容やそれに伴うテストという縛りがなければ勉強をしなかったのでは?

という気づきを書いてくれた。

しかし、その縛りなければないなりに学ぶことはできると思う。

それに、学ぶというのは、

「学校にきて教科書とノートとPCを使ってやるもの。」

でもない。

どこでも、誰からでも、何からでも学べる。

そこまで気付けて、その先の学びを自分で構築するところまでいけるような授業を作っていく。

最後の問 part5

part1の記事よりこのシリーズの説明を。

 

3年間共に学んできた、担当2クラスの最期のテストにて“最後の問”なるものを出してみた。

問いの内容は、

”これまでの授業と日常生活の中から、西尾が伝えたかったことは何だろう?また、授業や日常生活の中で感じたことや学んだことがあったら書いてみてください。”

というものにしてみた。

テストの時間に書いてもらったものなので、時間のある人が簡単に書いてくれればいいなぁと思ったのですが、かなりの数が集まったので、このコメントから色々と記事を書いてみる。(ブログ掲載許可取得済み)
以下はpart5の内容

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普通の考えにとらわれないようにした方がいいということを伝えたかったんだと思いました。なぜなら、1つ物事に対してもいろんな方向から考えるようにしていたからです。

また、電力の授業の時間でも、周りが電力の勉強をしていなくてもここでやればいいというのはとても驚きました。

 

・普通の考え?

”普通の考え”というのは、色々あるでしょうが、学校にいる多くの人が考えている常識的なルールや慣習のことを指しているのだと思います。(同意しているかは別として。同意形成する場もない・・・)

私から見える”学校の普通”もこの生徒から見える”学校の普通”も違うでしょうが、

私はそういう一つ一つを皆に問いかけながら、自分の意見も話す機会がありました。

不合理なルール、不必要な慣習に意見を言いながらも、実際に取りやめたり改善する事ができないこともありました。(変えられた事のは少ない。)

改善できないことに気づいていながら口だけを動かして、私自身も被害者ヅラしているところもあったと思います。(これは生徒に悪影響になると痛感しています。)

少しでも生徒と共に行動を起こしていきます。それが学校にちょっとした変化をもたらすことにつながります。

 

・授業のこと

その教科の授業では、その教科を学ぶこともこの生徒にとっては普通のことだったのでしょう。

授業の目的や、授業の狙いを明確に設定すればするほど、不必要になるルールもありましたし、必要になるルールもありました。

私は各自の自学自習を多様な形で評価をしたいという思いもありつつ、各自に有意義な時間の使い方をして欲しかったので、学習内容も任せていました。

ほとんど学習に向き合えない生徒もいましたが、いかにやらされないと自分がやらないのか?

を知れるだけで大きな財産だと私は思っています。

これを書いてくれた生徒はどんな授業形式でも、学ぶことはやめないタイプです。

それでも、授業によってのやりやすさ・やりにくさを適切に捉えているようでした。

どの授業がよく・悪いか?という二次元論でなく、各授業の特徴を捉える。

これはまずは自分から学んでみる(とりあえずやってみる。やり切ってみる)という姿勢の現れであり、素敵な姿勢を持っているなぁと感心しました。

言われた通りに盲目的にやり続けるでなく、

勝手に判断してやってみることを全くしないでもないバランスが大切だと彼から教わりました。

最後の問 part4

part1の記事よりこのシリーズの説明を。

 

3年間共に学んできた、担当2クラスの最期のテストにて“最後の問”なるものを出してみた。

問いの内容は、

”これまでの授業と日常生活の中から、西尾が伝えたかったことは何だろう?また、授業や日常生活の中で感じたことや学んだことがあったら書いてみてください。”

というものにしてみた。

テストの時間に書いてもらったものなので、時間のある人が簡単に書いてくれればいいなぁと思ったのですが、かなりの数が集まったので、このコメントから色々と記事を書いてみる。(ブログ掲載許可取得済み)


以下はpart4の内容

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自己学習能力を付けさす。

学ぶ中での疑問を自分の中で問い詰める。

・ 〜付けさす。

という表現について。

この学年の子たちは3年間を見据え、

2年生から徐々に自己学習の時間を増やしていき、私は学習の仕方のサポートに回りました。

しかし、学習は学校の授業でするもの(やらされるもの)という思い込みを取り去りきれない子もいました。

私は極端に言えば、学校の授業では学習を行わなくても、他の時間で一人になった時にきっちりできることの方が大切だと考えています。(他の生徒を邪魔するのはアウト。)

 

しかし、

・学校には来なければいけないもの

・授業は受けなければいけないもの

という縛りがある以上、授業は受け身になりやすいです。

(ホントはそんなことないんだけど・・・)

 

知識を50分間止めどなく流れてくる授業は、

知識を受け取り続けることを(先生にその気がなくても)強要して・されてしまう側面があります。

この文章を書いた子の言葉を借りるなら、

自己学習能力を高めるための授業も、

私が自由に学習を構築することを強要している側面があります。

もちろん、どう学習を進めるか?何がどうなったら学習したことになるのか?評価はどうしてもらうのか?などはオーダーメードに対応してきたつもりです。

私の授業のシステムと対応方法も、”やらされ感”への限界はあるでしょう。

 

・疑問を問い詰める。

学びの根源です。知りたいと感じたことを知っていくこと。これが身の回りになれば、私は必要ないなぁとも思います。

もちろん、問い詰め方は伝えられます。情報化社会においての、情報編集能力は来季の授業テーマになると考えています。

私を先生にしてくれたみんなを送り出しました。

本日は卒業式でした。3年の担任としての記事を書いてみます。

3年間を通して、私が彼らと関わるときのテーマは、「自立」でした。

私の考える「自立」は3年間、彼らと関わるうちに変化していきました。

私は当初、自分でできる事を増やしていくことが自立であると考えていました。

自分でやれることをどんどん増やす。これ自体は悪いことではない。

それが、

”自分ですべてのことをやりきることがいいこと”

まで行き過ぎるとバランスがいまいち。

自分が苦手で誰かが得意なことは誰かにやってもらえばいいし、

やってもらって、誰かがその人の得意を私のために活用できて、その人が力を発揮できたことに嬉しさ・楽しさがあればお互いに生かし合っていることになる。

それは逆もある。

自分の力を誰かのためにスッと使えて、そこに嬉しさ・楽しさがあれば言うことなしだ。

今は自立についてこんなふうに思っている。

gt-24o.hatenablog.jp

卒業証書をクラスで渡し終えて、少し話そうとした。

正直、今日までの日常で伝えたいことは伝えきった。

だから、そんなに話すこともないんだよ。

強いて言うなら、自立の意味を教えてくれてありがとうと伝えようかと思っていた。

けど、こんなプランは全然崩れて、

二言目くらいから涙が出てきてしまった。

なんで涙が出たのか、今でもわからない。笑

「先生どうせ泣いちゃうんでしょ!!」

と少し前に言われていて、

少しもそんな気はしていなかったけども、

グダグダに泣いていた。笑

その時にはみんな笑っていて、自分も泣きながら笑っていた。

みんなには感謝だ。

 

以下は2年前と1年前の記事です。よかったら。

gt-24o.hatenablog.jp

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