皆さんは何か考える時のとっておきの場所ってありますか?
あるならどんな場所ですか?
その場所の特徴は?
どんな場所なら考えられますか?
「考える」のイメージとしては、
自由な”思想”ではなく、
何かに向かおうとする”思索”
気軽にコメントをください^^
この2年バレーボール部の主顧問だった。
昨年は、3年生の担任をやりながら部運営をほぼ一人でやっていた。
自分が中に入りながらも俯瞰して見なければならないこともあった。
今年は私を含め三人体制だった。
一緒にプレーできる先生やバレー指導歴の長い先生が一緒だった。
心穏やかに練習や試合を見ることができた。
一人で顧問をしているときには、状況に応じて様々な振る舞い方をしなければいけなかった。
今年は3人が場面に応じて部員と関わった。
私は自分らしい関わり方をすればよく、多様な関わり方があればこそ全体のバランスが取れた。
自分一人だとどうしても盲点ができる。学校という場所ではこの盲点は大きな落とし穴になりかねない。
自分を出しながらも、自分が見えていないところに自覚的になるのには限界がある。
今年、3名で顧問をできた体験は貴重だった。
また、担任クラスでも色んなことが起きた1年だった。
行後の学習指導も今までになく行った。
部活・自クラスを超えて、数多くの生徒の課題と対峙し多くの生徒と関わる1年だった。
今年、部顧問が自分一人だったら?
学年主任の助けがなかったら?
なんて、”たられば”の話をしてはいけないが、私やクラスの皆や部員がどんな形であれ、今日までやってこれたことを考えると、”ご縁”に感謝だ。
また、自分がいつ・どこで・誰に必要とされているかを判断し、自分の力・特徴を発揮できることも重要であると感じた。
おそらく、いつ・どこで・誰に必要とされるかは選べない。
どう環境を変えても、フィットする役回りがある。
そこで素直に力を発揮できたらそれでいいような気がする。
日常の疑問を大切すると、自分の課題を解決するチャンスが生まれる。
⇨学校の勉強(偏差値)だけが学びじゃないかもしれない。
自分の課題をクリアするための情報に辿り着くためには、探し続けるしかない。
⇨自分の必要としている情報がわからないからこそ探そうとする。好き嫌いで視野を狭めず色々学んでみるといい。
情報にたどり着いたら、手段を考える。
様々な手段を試行錯誤する。いきなりうまくいったり、急に自分に変化が起きることはない。
手段を知りコツコツと自分で自分を行動させられるようなれれば、なりたい自分に近づく推進力が得られる。
「100%なりたい自分になれました!」という瞬間はこない。
一時的にそうなっても、時間が経てば新たな課題や得たい視点や情報が出てくる。
だから、
頑張って学び続けようとは思わず、
成長=頑張る というイメージは一旦置いといて、
頑張らずに、効果の期待できる内容・ペース・方法に拘ってやることを模索し続けることが大事だと思う。
そして、今日やってみる。明日のことは明日やる。
今日やってみることが結果的に推進力になる。
この推進力が自分の中に芽生えるきっかけは、寺子屋塾に通い始めてからです。
私の職場でも生徒たちと、どうしたら自分で自分を学ばせることができるのかを共に考え実践する日々が続いています。
私は寺子屋塾中村教室へ塾生として通っている。
こちらで定期的に行われるインタビューゲーム4時間セッションのファシリテーターをさせて頂きました。
私と共に二人で教師塾という学習交流活動を運営している廣安くんが、インタビューゲームについて記事を書いています。こちらもご覧になって下さい。
[振り返り]
参加者する立場であることは多々あり、リズム良く進めるイメージはありましたが、進行側となると参加側では雲泥の違いがありました。
教師塾や授業など、ある時間や学びの場の進行はこれまでもありました。
今回のインタビューゲームのファシリテートに欠けていたものは、
ファシリテートをする中で、
その場をどんな場にしたいのか?
何を伝えたいのか?
どんなことを感じとって欲しいのか?
などの、理念性が欠けていました。
井上さんや廣安君がファシリテートしている姿を、私はなぞるだけでした。
インタビューゲームは4時間セッションは流れがある程度は決まっているプログラムだと感じていましたが、その手段も、ファシリテートする側の理念性が表出したものなのだを気付けました。
私はインタビューゲームが好きです。学びが多く、そこに参加した人たちが緩やかにつながっていける(平たくいうと仲良くなれる)プログラムだと思います。
ファシリテートするまでは参加側の価値しか知りませんでしたが、場を作ってみて、段々と雰囲気の良くなる場や参加者の方々の姿を見て、場を作る価値を知ることが出来ました。
今後もチャンスがあればやってみたいと思います。