gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

抽出

学び、気づきと呼ばれるものは、いつでも、何からでも得られるものであるが、

同じ環境、同じ条件で生きている人は、この世の中には誰一人としておらず、それらの体験から何をどう抽出するかは人によって違う。

一つの出来事について、論点や主張が違うことも自然なことだろう。

特に、学校現場では、一つの教科、様々に起こる出来事から様々な方向性の考えが錯綜している。

(錯綜しているのが良さでもあるが、偏りは否定できない。)

 

その中で、私が伝えたいことがカタチを帯びてきている。

望んだ老若男女が対話を通して、その人にあった(課題)学びを届けられるようになりたい。

環境や出来事、学習の定着度に左右されず、その人がその人のペースでその人なりの、その人のためになる学びを共に創りたい。

 

それには、学びを創出する教材が必要だし、その教材に向き合い続けることだろう。

そして、少しずつその教材を通して、学びの場を拓くことだろう。

氏名記入

原則、1日、1枚。

原則なので、自分の環境や状況、自分の力などを踏まえて、プリントをどう扱うかは学習者に委ねられている。

 

これまで学習を進める際に、主導権を握られることが多かったからか、学習者はプリントをどう扱うかを迷うこともあるだろう。

井上さんや他の学習者からの提案を受けても、結局はその提案を採用したのは自分であり、プリントに取り組んだのは自分である。

 

「氏名だけ書いてみよう。」

と提案されて、

「氏名だけ書けば良いのか、、」

と氏名だけ書いていても、

氏名だけ書いていれば良いかどうかは学習者の中に自然と湧き上がってくるはずだ。

 

プリントに名前だけを書くのにも意味がある。

というより、意味や効果を見出せるかどうかは学習者次第なのだ。

部通信 part28

[今日1日の成長]

大会のため、結果のためも大事だろう。

しかし、大会がなくなるり、勝敗を試す機会がなくなるかもしれない。

試合のための練習をすることも大事だが、自分やチームメイトの1日の成長を見つけるのも大事だ。

 

今日取り組むことを決める。

今日できた事を見つける。

この1日を大会までの数ある日数のうちの一つにせず、

自分を伸ばせた1日にする。

チームメイトの伸びを見つけられる1日にする。

自分を自分で伸ばし、他人の伸びたところを見つけられる能力は、

この状況下でも、高められる能力の一つだと思う。

自問自答と一歩

いつでもどこでも学べる。

原理的にはそうで、アタマではわかっちゃいるが、カラダが動かないことって多い。

 

教室で生徒へ、

「自分で自分を学ばせられようにしよう!」

と言うなら、

自分がそう在ろうしなきゃ、

自分で自分を学ばせるための在り方がわからない。

これは手を(体を)動かした体験からしか得られない感覚だからだ。

 

「夏休みはたくさんあるから、いくらでも時間あるよね。」

と言うなら、

自分はこの夏休みで何をしたのか。

と自らに問う。

そうすれば、夏休みに自分を自分のイメージ通りに動かす難しさがよくわかる。

 

誰でも指摘できることを平然と指摘しているだけでは何も変わらない。

その先の一歩をどう踏み出すのか。

踏み出した一歩がある人にしか、その一歩を振り返ることはできない。

この一歩には、色んなカタチがある。

ゲーム難易度の変貌

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私は休日にゲームをやることがある。

ゲームは小学生の頃からやっていた。

写真のゲーム機は最近購入した。数年前に発売された復刻版だ。

www.nintendo.co.jp

 

過去の名作が数十本収録されている。

プレイ感想は、「難しい、、、、」に尽きる。笑

小学生時代にプレイしたゲームがいくつか収録されいるが、思い返すと全クリアしたソフトはほとんどない。

 

昨今のゲームが簡単になっているわけではない。

様々な難易度が設定されていたり、ゲーム内のサポートも充実してきていると言ったほうが良いと思う。

 

過去のゲームの難しさと、今のゲームの難しさは少し違っているのではないかと感じている。

収録されているアクションゲームでは、

初見で

「へ?これどうやってクリアするの?」

という場面に出会したり、(そもそも操作方法になれるのに時間がかかる。一つでも操作方法が抜けていると全く進めない。)

「おいおい、これでステージ1? 全クリアできんのか?これ?」

という感想を抱かせる。

RPGではキャラクター同時の話し合いを少しでも聞き逃すと行き先がわからなくなる。

 

しかしながら、(変な言い方だが)毎日コツコツやっていると少しずつできるようになる。笑

アタマで考える前にカラダが覚えていく。笑

人にもよるとは思うが、いきなり難しすぎると、やっていて嫌になる人もいるだろう。

「ゲームでなんでこんなに苦しまないといけないんだ、、、」

とゲームをやめられてもゲーム作成陣は困る。

だから、少しずつ難しさが変化しているのではと感じる。

 

この休みに「超魔界村」のクリアに挑んでみようと思う。笑