gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

今可不可

高校14

30:51

ミス7

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高校の因数分解に入ってからは、答えを見ながらでないとプリントを進められなくなってきた。

合格するにも5枚以上のプリントが必要になっている。

答えを見てもわからない問題もある。

プリントでは、3つまでミスができる。

プリントの中で1つの問題ができなくてもプリントを合格することも原理的にはありえる。

1、2枚目ではわからずに放っておく問題もある。

わかろうとすること、出来るようになろうとすることを一時的にやめることもある。

それでも、また次のプリントを行えばその問題は目の前に立ちはだかる。

わからない状態ではスカイツリーくらいの高さの壁に見えるが、一度できてしまうとその壁は崩れ去る。

一時は逃げることもあろう。同じ問題に30分頭を悩まさるのも辛いし、わからなくなれば誰かに聞けばいい。

「よし、次の教室に行くときに聞こう!」と決めると、わからないところを確定させないといけない。

質問をしようとする最中、わかってしまうこともあるし、他の問題を何度もやっているうちに閃いて解けてしまうこともある。(私はこのパターンがとても多い。)

毎日プリントをするのだから、やった分だけ変化し、実感しているだろう。

(毎日やると違いを感じやすい。)

毎日やると自分で決めている人は未来の自分に期待をしてもいいのかも知れない。

(自分の未来の状態をブレを少なく予測できるかも知れない。)

今この瞬間の「できない。」という体験に対して、

今できることを確実にやることで明日につながる。

 

毎日プリントをすることが前提なら、

今やるべきことに敏感になれる。

(やるべきこと、量、時は皆違う。)

毎日やると決めることと、毎日やったか(やっているか)どうかは別のことだ。

1日やらなかった昨日があるとしても、

今日できることは、どうしたら続けられるか?を考えることではなく、

今日のプリント1枚をやることだけだろう。

知れば知るほど

休校になって一ヶ月と1週間になる。

各方面から多様な実践・事例がでている。

見ればみるほど、方法が存在することがわかる。

しかし、全体を均一に動かすには時間がかかる。

個人、科目、学年などの区切りでやれることを探し実行しているが、

個人裁量でならやれることはもう少し増える。

個人の知識は集団が大きければ大きいほどうもれやすい。

 

集団でも現状で出来ることを個人単位で行う。

1人ではどうしようもないことは、誰のせいにもしない。

どんな時でも、個人に自由と責任があることを自覚して、自分に問い返すことを大切にする。

 

前回の教師塾では、卒業生の大学生や社会人の参加もあった。

多方面からの参加を頂けて、個人でもやれることはあると再認識できた。

仕事場、それ以外の場でも貢献を感じられる環境にいられることに感謝だ。

 

知れば知るほどもどかしさはあるだろうけど、

知ることはやめてはいけない。

打開策、妥協策がまだあるかも知れない。

時間忘却

高13

19:27

ミス:1

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高13のプリントは、

今日で5枚目でした。

1〜4枚目まで半分を1日分として取り組みました。

1、2枚目は答えを見ないと解けないものもありました。

3枚目、4枚目となると答えを見ないと解けない問題は前後半で1個ずつでした。

5枚目は通して答えを見ずに解くことができましたが、16分の目安時間に届きませんでした。

これまで、1枚のプリントを半分に取り組んできたせいか、時間を気にしない学習が続いていました。

本日は8日ぶりに1枚のプリントを取り組んだことになります。

気付いたらプリントを終えており、時計を一度を見ずにプリントを終わっていました。

19分間、計算にだけ集中していました。

19分後にタイムスリップしたような不思議な感覚がありました。

今までにも何度か、時計を見ずにプリントを終えることはありましたが、

これだけの長い時間、雑念なくプリントに向き合えた体験は初でした。

この感覚をアタマで考えてもう一度やろうとしてもできないと思います。

色々と条件や体調もあると思います。

次はあと2枚くらいやれば高13のプリントは合格するんじゃないか?

という予感があります。

この予感がプリントを学習を邪魔しないような向き合い方が大切な気がします。

オンラインてつがく対話 振り返り

本日は第18回の教師塾をzoomを使用して開催しました。

哲学対話とは?

gt-24o.hatenablog.jp

哲学対話は集まった人たちで座って輪になり、聴き、問い、考え、語り合います。

集まった人たちでテーマを持ち寄り、皆の関心をあることを語り合います。

 

・場所に集まるのとzoomで集まるの違いについて

教師塾や哲学対話の説明を行うのに、画面を共有し行いましたが、私と全ての参加者の方の顔が見えるわけでないため、みなさんからのフィードバックが全くなく、少し不安な気持ちになりました。(汗)

20名近くの人に集まって頂けました。

静岡、広島、岐阜からも参加があり、zoomだからこそ集まれたのかなと思いました。

また、ことばこ常滑校の教室長の井上さんから依頼を受けて開催した経緯もあり、他団体と協力して開催することも多様な参加者の方に集まって頂けるポイントになりそうです。

 

・本編

画面越しの情報しかないため、

アイスブレイクの質問ゲームに追加で自己紹介の時間も取りました。

ただ画面を見続けること、同じ姿勢でいることは、集まって行う会とは違う疲れがありました。

やってみてわかったことなので、また次回までに改善をしていきます。

 

・内容

私の方のグループは、

「コロナ騒動において、自粛をどう捉えてどう行動しているか?」

というテーマでした。

コロナによる影響の話をしていましたが、後半には他者をどうみているか?

自助・共助・公助の話にもなってきてコロナそのものには大きな影響力はないように感じました。

私たちの心や他者との関わりにキーがあるように思えました。

 

・まとめ

この先、外に出歩けようになっても、zoomでの開催はやってみるメリットはあると感じました。

悪役になる前に

ある価値観が場を支配すると、

その価値感に批判的な行動や言動がとりにくくなる。

その価値観に合わないと感じている場合にどう対処するだろうか。

我慢してその価値感を迎合し、マジョリティであることで安心し、自分を納得させるか。

我慢しないに代わりにあえて悪役となり、その価値観に一石を投じる役割を担っていると自分自身を納得させるか。(マイノリティであることに貴重性も求めたりすることにも近い。)

http://gt-24o.hatenablog.jp/entry/2019/10/01/183408

自分の頭で考えて、行動することは大切だと思う。

その行動に責任をとることも大切。

でもその行動が価値観を徐々に変化させているかどうか。

そこには敏感であってもいいかもしれない。

行動の理念、動機が確かなものであっても、行動からそれをわざわざ読み取ってくれる人はほとんどいない。

その集団の価値感に変化もありながら、行動する自分が悪者になりすぎないバランスが大切だと思う。

そして!その集団に力を使う必要がなくなればすぐにその場から立ち去るのが良いと思う。