gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

本と対話のカフェ 振り返りpart1

1月14日(月)に東京で行われたイベントに参加してきました。

cafephilo.jp

・このイベントに参加する経緯と、この本や哲学対話との出会い

このイベントに参加したのは、

 今年の4月から職場で子どもたちと業後に哲学対話なるものをやってきたことや、

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哲学対話をテーマに学びの場を開いたこと、

第8回 教師塾 〜今日からあなたもテツガクシャ〜

この学びの場を開いてみて、

哲学対話を定期的に開こうと思ったからです。

 

また、この本が

考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門 (幻冬舎新書)

”哲学”という言葉をみんなのものにしてくれた気がしました。

誰にでもできることであるのと同時に、際限なく対話の深さを探求できる。

簡単なようで、難しい、だけど誰にでも出来る。

相反する特徴を併せ持つ哲学対話に惹かれたからです。

 

・著者・梶谷真司さんがこの本を書いたきっかけと自分が哲学対話をやりたい理由

この本を書いたきっかけはこの記事からだったそうです。

www.projectdesign.jp

この記事を読んで、また今回の梶谷先生の話を聞いて

学校の中にいるものとしては、

「まさしくその通り。」

という感じ。

いわゆるの”学校”でおかしなことが行われていることは事実だと思います。

そして、

「学校関係者としてこのようなスタンスで記事を書いてはいけない。」

と考えていました。

しかし、

私は、「学校」ではない。

(学校がどうのこうのっていうけど、学校って誰なんだろう。)

学校を肯定も否定する気もない。

学校の中で行われている変なことを体験している事実はあります。

それを誰かのせいにしたり、制度のせいにしたりして、

自分が何もやらなければ、目の前にいる生徒の当事者意識は日に日に薄らいでいきます。

私は、今の学校の在り方との距離感がまさに、

この本に出てきたように、

「受け入れないけど、受け止める。」

ということだと思っています。

今の学校の状態を評価をする気がない。

良いとも悪いとも言わない。

だけど、自分がやったほうがいいと思うことをやる。

 

私は学校を変えたいんじゃなくて、

その学校にいる生徒や、生徒との関わる大人と共に、考え、語り、気づきあっていきたい。

 

だからこそ、哲学対話をやっています。

学外でもやってみましたし、これからもやります。

これくらいがシンプルでいいなぁ。

 

part2では、哲学対話の場を作るとしたら?という視点で書いてみようと思っています。

 

おわり