gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

関心の行方

教員という仕事柄か、職場にいる皆(学習者が中心)に関心を向けることを大切にしている。

(今は少し寂しい。)

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私は他者に関心を向け続けることは簡単でないと感じていた。

それがなぜか。書いてみようと思う。 

 

関心の対象は、

自己への関心、他者への関心、世界への関心があると思う。

生まれてまもない時は、自分を自分とも認識していない。

最初の他者は母だろうか。

目が見えるようになると世界を世界と認識せず、母以外のものにも関心が向く。

 

自己を自己だと認識する。(物心がつくというやつだろうか。)

家から出て遊び、学校にいけば色んな他者がいることに気づく。

色んな言葉を学び、世界・社会・集団という見えない対象にも出合うことになる。

 

他者と関わり、世界の中にいながら、世界を感じることによって自分の存在もよりはっきりしていく。

自分の中に呼び起こされる説明のつかない何かにたくさん出会う。

関心が自分の中に向いているときには、他者や世界への関心はもちにくいと思う。

しかし、自分の中にある何かを理解しようとするには、他者や世界(学問)に関心をむける必要がある。自分のことを説明するにはこれまでそれに出会って向き合ってきた人たちが残したものに触れるしかないからだ。

(自分の中に湧き出てくるものを全て説明ができなくてもいいし、説明出来ないものの方が圧倒的に多いはずだ。)

自分の中に閉じこもっていても、自分のことはわかるようにならない。

だからと言って、

そのままの自分と向き合わないと、自分の中にある言葉にできないものにも出会えない。

 

自分と向き合い、未知の自分と遭遇しては、他者や世界(学問)に関心を向けて自分を説明できるようになっていく。

このバランスが大事なんだろうと思う。

自分の中に立ち現れたものを異物とせず、まず自分自身で受け止めてみる。

今までの人たちが全く遭遇したことのないものが自分の中に生まれることもあるかもしれないけど、まずはこれまでの人が残したもの・事の中にヒントがないか探してみるといい。

 

自分を覗いては、周りに関心を向け、自分を広げる。

これを繰り返すことが「学ぶ」ということかもしれない。

 

最初の話に戻ると、

他者へ、世界(学問)へ関心が向かないのは、

自分へ関心が向き続いているからかと。

自分の中にある言葉にならない何かを異物として見て、確実に視界には入っているけど、見て見ぬふりをしているから。

これでは外に関心が向かない。

学びたいと思えば、自分をそのままみること。

それがスタートだと思う。

収集には発信

ネットには誰かの言葉や文章が溢れている。

誰のものかわかるものも、わからないものも。

特定の誰かに向けて書かれたものも、ターゲットをある程度絞って書かれたものも、全く絞らずに書かれたものも。

 

誰がどんな意図で誰に向けて書かれているのか。

これらを判断せずして、その言葉や文章をそのまま(自分のフィルターを通して)受け取ることが自分にどんな影響を及ぼすか。それらの情報はどれだけテキトーに見て、聞き流していても人は影響を受けると思う。

この影響に敏感になるには、自分で書くこと、発信することだと思う。

発信者の意図に敏感になり、何が事実で何が認識なのか。

またその発信者はどんな人なのか。

そんなことにも意識がいくようになる。

手軽に自分の元に届く情報ほど精査したい。

自分が発信するには、自分で考えて、情報を精査する必要がある。

outputを前提とした、自分から掴みに動く情報は、どこからか流れ着いていくる情報とは質が違うように思う。

 

質の高い情報をつかもうとしたら、発信しようとする方が早いのかもしれない。

身だしなみを整える

現在は在宅勤務中だ。

自分で1日の流れを決め、自分でリズムを作り出せることが1日を送るには大切だと感じる。

今までは1日のリズムを仕事によって作られていた。

日々の仕事のリズムへは、自分を近づけていくイメージだった。

いまは自分のリズムを自分で構築できる。

反面、どう過ごすかが難しいと感じることもあるかもしれない。

時間があるかないかなんて自分で決めることだ。

1日のやることを程度、決めて自分で守っていくのに、在宅も出勤もあまり関係ない。

 

家の中にいる時間が長くても、

身だしなみを整えるとカラダも起きた感じになる。

誰に会うわけでもないけど、私服をきて、髪型を整える。

そんなことでも随分違う。

公園で本を読んで、

革靴を履いて散歩もいいなと思う。

隙有隙無

高12

18:01

ミス:2

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在宅勤務になり、時間がある。

行うべき作業があるが、今までよりもらくだプリントをやる環境ではある。

しかし、在宅勤務になってからもやらない日はある。

どれだけ時間があっても自分でリズムを作り出せることが1日を送るには大切だと感じる。

1日のリズムを仕事によって作られていたことにも気づいた。

その仕事のリズムには自分を近づけていくしかない。

いまは自分のリズムを自分で構築できる。

反面、どう過ごすかが難しいと感じることもあるかもしれない。

時間がるのかないのかなんて自分で決めることだ。

1日のやることをある程度、決めて自分で守っていければいいと思う。

自壁自作

高12

時間:計測ミス

ミス1

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プリントには目安時間のミスの数が決まっており、この基準をクリアすればそのプリントは合格となる。

この基準は誰かがこのプリントを見て、判断したり評価したりするものではなく、

プリントそのものに客観的な判断基準がある。

 

らくだプリントの奥深さは、

この判断基準以外が学習者裁量であると点だ。

もちろん、学習の手引きは存在する。この手引きをまずは型としてやってみた方が、プリント学習の意味合いや効果を引き出せると思っている。

(私自身が説明書を読まないたちなので、プリント学習での気づきや疑問を井上さんに聞くと手引きに書いてあることが多かった。笑)

プリントは1枚単位である。

何枚やってもいい、1枚を分けてもいい。

同じ種類をやり続けてもいい。

とにかくどう使ってもいい。

 

プリントを通して浮かびあがる自らの課題に取り組もうとすれば、自然にその人独自の教材の使用方法が現れてくると思っている。

自分で壁を作っては楽しくよじ登る。