gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

部通信 part19

[もう一人の自分]

プレー中に、

「失敗したらどうしよう…」

のような類のフレーズで登場する"もう一人の自分"に出会ったことはないだろうか。

プレー中に必要ないないはずの内容ばかり考えている時は、"もう一人の自分"に完全に足を引っ張られている状態といえる。

この、"もう一人の自分"が完全に消えることはない。

”もう一人の自分”を消そうと考えても、そう考えている時点で思考している。

人はどうしても思考する生き物だから。

 

"もう一人の自分"が現れる時はどんな時だろうか。

大成功の直前?

絶対失敗できない直前とかだろうか。

その瞬間で、その一回で何かが変わる(と思い込んでいる)ような瞬間かもしれない。

 

言葉にするのは簡単だが、足を引っ張る形での”もう一人の自分”が現れにくいようにするために大切にすることを書いてみる。

 

① その対象(僕らならバレーボール!)を楽しもうともせず楽しんでいる。

これは大丈夫。みんな楽しもうとせずとも楽しんでる。少なくとも私はそう見える。それを見てても楽しいから大丈夫!

何かのために、その対象を利用したりしないってことも大切かもしれない。

誰かに褒められたいとか、誰かより優位に立ちたいとか。

それから得られた結果からは安心はするかもしれないけど、感情の爆発はしないかもね。

 

② 自分の能力(現状)を把握する+(長期的に)伸びしろがあるっ頭の片隅に置いておく。

自分ができることを(自分がどう動いているか)把握していると、ミスしても成功しても”あいつ”が顔を出しにくい。そんでもって、コツコツやってきた人はいきなり伸びしろが広がる瞬間があるかもしれないから忘れてはいけない。でも、伸びしろがあるから大丈夫って直視しないといけない現実に目を背けていると伸びしろが広がる瞬間はこない。あー難しい。笑

 

③ ”あの時の自分”にすがらない。

人は毎日変化している。他人も毎日変化している。変化していないものを探す方が難しい。

その中で、

「あの時の感覚をもう一度・・・」と考え、過去にしがみつくと”あいつ”が顔を出しやすい。

”あの時の自分”は絶対に再現できない。

(近い感覚を思い出す、勘を取り戻すとかとは少し違う。)

うまくいかない今から目を背けず、どうしたら良いかにだけ思考をめぐうらしてみよう。

 

①はすぐかけました。①を何とかしようとするのは難しいと思います。

楽しくないことは出来ないから。笑

ただ、ほんとーーーーーーーに楽しくなるまでコツコツやってみことも大切。

左耳が聞こえないことから

私は左耳の聴力がない。

後天性で、小学校の検診でわかった。

当時の医師は、点滴を継続的に行えばある程度までは回復する可能性があると言っていた。

同じケースで右耳が聞こえなくなった同級生がいて、その子はある程度まで治った。

ほぼ毎日、どこかの時間を見つけて点滴を打たなければならなかった。

 

当時の私は野球・陸上競技をしていて、ゲームもしたいし、みんなと遊びたいという時期だった。

母は、「耳が聞こえるようになる可能性があるのだから、通院を続けた方がいい。」

と口すっぱく言った。

しかし、私は母と話し合い、通院をやめた。

 

”一般的な子思いの母親”なんてみんな違う。

だから、無理に聞かせてでも連れて行くことが正解だという人もいるだろうし、

個人の意見を尊重することがいいと思う人もいるだろう。

 

当時の母には少し申し訳ないという気持ちがある。

耳が聞こえないことでどれだけ私が苦労していくのかを、私以上に考えてくれただろうから。

 

でもそれ以上に感謝していることがある。

この問題に限らず一貫して私を1人の人間として対等に、対話をしてくれていたからだ。

最終的には自分の人生に責任を持てるのは自分だけ。

これは耳の通院に限らずそうだった。

耳の通院を無理やり連れて行かれていたら、少しは考え方が変わっていただろう。

片耳が聞こえないと、音の方向が分からず一本違う道を通っている車が私に突っ込んできているように聞こえることはしょっちゅうだし、左側から話しかけられてもほぼ言っていることがわからない。

野球ではセンターを守るが、ライトからの声かけが聞こえないので、右中間のフライをお見合いすることがしばしばある・・・

(いや、耳のせいではない、技術だ・・・笑)

 

でも、悪いことばかりではない。

右耳を下にして寝ると静かな夜を過ごせる。

都合の悪いことは聞こえてないことにできる(笑)し、

最近は口の動きで何を言っているか少しだけわかるようになってきた(気がする)。

 

「いや、その時に少し我慢すれば聞こえたんでしょう?」

と言われれば、まぁ、その通りだし、そう考えたことはもちろんあるが、

不思議と過去の自分を責めたことはない。

たらればはいくらでも捏造できる。

今あるもので楽しるようになる能力がついたということにしておく。

 

終わり

怖そうな人にこそ

怖そうな人にこそ、

「教えて下さい」

って言ってみるといいんじゃないと思う。

 

怖そうな人なんて表現はよくないのでもう少し考察を。笑

 

聞いてないのに、教えてくれる人が、

ピンポイントで知りたいことを教えてくれることは少ないように思う。

 

[コミュニケーションは少ないけど、色々とキッチリしていて少し怖い人]

と言う人がいたとします。

私はこういう人は苦手だと感じている。

でも、心の奥の方では色々と話を聞いてみたいと思っているのではないかと予想している。

 

教えることが上手な人は、その人から質問もされずに教えることは少ないと思っている。

 

教えることに対して、後攻である人こそ色んなことを知っているのではないかと思う。

 

だから、少々煙たがられてもこちらからとびきりの質問を用意して、そういう人の懐に潜っていくと知りたいことが知れるのではないかと思う。

 

 

心機継続

中3-42

ミス:3

14:45

----------------------------------------------

2学期を終えた。

人生で6回目の2学期だ。

これまでの2学期は毎回、息切れしていた。

今回はゆったりと疲労を感じながら2学期を終えた。

低空飛行で安定して飛んだ感じだ。

今ままでにないほど、部活動に時間をかけた。

それでも大きくバランスを狂わさず終えられたのは、

遠いところからでも、どこかで自分を見つめる時間をプリント学習を通して行ってきたからだろう。

プリントは毎日やっていない。

しかし、冬休みは全部やらなきゃ・・・とか、新年から心機一転する気もない。

毎日のプリントを行える生活を送ることに意識を向けたいと思っている。

12月はほとんど寺子屋に来れなかった。

1月に予定した日に来れるようにする。

というより、

自然と足を運べるような生活をする。

ことなのだろうと思う。

さっと、、

歩道で自転車のおじいちゃんとおじさんがぶつかった。

軽くぶつかっただけで、自転車が倒れただけ。

 

物が散らかった。

誰よりも早く拾ったのは、5歳?くらいの女の子だった。

さっさっさと。

 

「どうぞっ?」

と言わんばかりに。

 

その場がピリッとした空気から、

和やかな雰囲気にかわった。

 

このエピソードがいいなあと思ったってことは、

私は少なからず他人のものとなると何だか一枚壁があるというか、関係ないというか。

そういうのがあるんだろうなと思った。

 

その壁っていつぐらいからどういう風にできてくるもんなのかなと疑問に思った。