gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

部通信 part15

[なんで部活をするんだっけ?]

何度も言ってるけど、

「頑張ることは正義じゃない。」

だけど、

“楽しさ”の追求は、自然とプレーの質を高めると思っている。

出来ることが増えると、自分の力を試したくなる。試してみたらできるようになったことを発揮したけど、出来ていないことも同時に見えてくる。

その連続が結果として“成長”につながるのではと考えている。

だから、勝つことや技術が向上することは最終目的じゃない。

なんで部活やるんだろう?って聞かれたら、

「楽しむことを追求しながら、結果として成長して、チームとしての勝利を自然と目指せるようになってくる。」くらいがいいんじゃないかなと思う

 

[チームワークって何だろう]

答えはない。

どのチームも世界に一つで、そこに生まれるチームワークも世界で一つ。

「チームはこうあるべきだ!」

という一人の思い込みにチームを押し込んでもかみ合いにくい。

そもそも、そのチームの活動目的がないとチームワークのカタチも見えてきにくい。

4月にも目的を全員で共有しようとしたけど、みんな違った。

(みんな違って当然だよね。)

実業団のチームのように目標・目的を公式ホームページに掲げていない限り、チームの目的を知り、そのチームに入ることも少ないだろう。

ましてや学校の部活動の状況を知って、学校を選ぶことも公立学校であれば少ないだろう。

そうやって集まったメンバーの中で、部員の目的やモチベーションをすり合わせながらベストなバランスを探していくことでチームワークが見えてくるかもしれない。

 

[誰かに変わってほしいならまず自分が変わる、そして変わってくれる事を期待しない]

どれくらいうまくなりたいか?どんなレベルでプレーしたいか?

この程度は人によって違う。楽しさの感覚も人それぞれだから。

勝つことに少々こだわりがでてこれば、楽しみながらも苦しい思いをしなければならない時がある。

しかし、結果として頑張ることや、勝ちを意識すること、楽しみの度合いはみんな違う。

違う者同士で、自分の価値観を押し付けてしまっては、押し付けられたほうはつらい思いをする。

プレーがうまい人、努力している人、影響力のある人がそうでない人を言葉などで威嚇しても、その人が快くペースを上げてくれたり、生活リズムをかえてまで部活動に割く時間を増やしてくれるとは思いづらい。

集まったメンバーはこの先もう変わることのないかけがえのないメンバーだ。

だから、隣にいるメンバーをまずは受け入れ・理解しようとすることが第一歩だ。

自分が変わらない限り、他者が自分の都合の良いようにかわってくれることはない。

そこで人を変えようと、言葉や力を使うのは自分のプライドから目を背け、自分の課題からは目を背ける卑怯な人間がやることだと思う。

全日本選手権 名南地区予選 2019.10.22 覚書

部顧問の覚書として、部通信とは別に書き留めておきます。前大会の覚え書きはこちらです。

http://gt-24o.hatenablog.jp/entry/2019/07/24/220550

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前回大会は結果として大会3位と初戦で激突しました。

今回は前回大会5位のチームと初戦で当たりました。

(くじ運もってます。)

前回は座ってゲームを見て、タイムアウトも取れませんでした。

選手の要望で今大会はコートの近くで声をかけることにしました。

私自身が少しずつプレーを予測できる部分も増えてきましたが、コートの状況を事実レベルで伝えることに集中しました。選手の判断の妨げになってはいけませんし、責任と判断はセットです。

立って少し後ろからコートをみると気づくこともありますし、選手の状況は普段から彼らを見てる分、いつもと違えばそれをいってあげられます。

自分がどう在ればスポーツを通じて彼らが成長できるのかを模索したいです。

 

話は変わりまして、前日、バレーボールのW杯がありました。

久し振りにテレビで見て楽しく見れました。

しかし、彼らの試合の方が熱が入ります。声が出ます。ガッツポーズが止まりません。

 

結果としてはフルセットの末、初戦を突破することができました。

勝った・負けたはスポーツですからあります。

相手のあることですから、相対的な比較になりがちなこともあります。

しかし良いプレーが出る(出来なかったことができるようになる)とやはり私は感情が爆発します。

気づけば数えきれないほどのガッツポーズをしていました。

 

ガッツポーズが前回大会よりはるかに多かったです。

それは彼らが自分たちの課題を目の当たりにして、そこから逃げずに取り組んできたからでしょう。

 

今大会をまとめると、

彼らは私の想像なんて簡単に超えてくる。

です。

 

追記

ベスト4に入ったチームの顧問の先生に会話の中でチームの状況を軽く聞かれました。

とっさに、

「バレーボールが好きな子たちです。」

と応えました。

スッとこれが出でくるチームで嬉しかったです。

追記2

勝利のカツ丼

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要考止考

中3ー31

ミス3

11:28

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プリントをやらない日は0じゃない。

やらない日は確かにチャンスが少ない。

しかし確実に時間はあるのだ。

時間があるというのは、

物理的に24時間あればどこかにやれる時間があるという意味もあるが、

さらに言えば、やりやすい環境・タイミングが1日の中に必ずあるはずだと思っている。

どれだけ忙しい1日でも、一番マシな時間があるはず。

そこでやれないと、やらなかった1日となってしまうことが多い気がしている。

1枚のプリントを丁寧にやる(やれる)時間を1日の中で探しておく必要がある。

これはらくだをやる(1日)前に考えてみてもいいことだろう。

 

とは言っても、プリントを目の前におき、時間を測り始め、解き始めればなかなか途中でやめることは少ない。

この状態にまでなって、やらない理由をわざわざ考えて、やめることも少ないように思う。

 

プリントをやるために考えることは本当に少ない。

やれるようになるために考える時間が取れているなら、その瞬間にすぐにプリントを始めればいい。

らくだプリントが出来るようになってきていると感じられる時は、

考えてからやるべことと、

やってみてから考えればいいことの見分けがついてきているのかもしれない。

変われと求めてくるが、変わる気がない人

http://gt-24o.hatenablog.jp/entry/2019/09/18/191413

自分らしさは、自分だけで決められるものじゃない。

相手がいて自分がいる。

相手が変われば自分も変わる。

しかし、こちらにも相手にも今まで生きてきて大切にしたいことがあるから、お互いがお互いの大切にしたいことを尊重し合えるなら、変化し合えると思う。

それが出来ないなら、変わる必要とその相手と関わる必要もない。

変わる必要も関わる必要もない相手がどんな人かというと、自分の大切なことは認めろと言ってくるけど、こちらの大切なことは大切にしない人だ。

こちらに変わることを求めるけど、自分は変わろうとしない人だ。

 

自分らしくいることと、

ずっと変わらずにいたいことは違う。

二人(対)という関係の難しさ

AさんがBさんに不快感を与えたとする。

この時、AさんがBさんに意図的に不快感を与えたのならAさんに問題があると多く人が予想するだろう。

 

Aさんは与える気はなかった。Bさんは受け取ってしまった。

という状況である場合、

AさんはAさんの中で与える気がなかったと思っているという事実があり、

BさんはAさんから不快感を受け取ったと思っているという事実がある。

誰かが何かを感じているというのは事実になりえる。

(そう感じたことを他者が嘘である証明できないから。)

ただ、もう一つの事実があると思っている。

BさんがAさんから何をどう受け取ったかは別として、不快感が生まれているのはBさんの中からなのだ。

 

人間関係は正解がないけど、限りなく事実に近いことを無視して、

どちらが悪いか?

と認識で話をしたり、

誰か悪いのか?

と犯人捜しをしたところで問題は前に進まない。

 

事が起こった時にお互いが了解できることを同意のもとで事実レベルで整理していき、認識と事実を分け、これからどう改善しいくかを考えることは大切だと思う。

 

しかし、二人の間で事が起きた時に、二人で事を整理し解決するのは難しい。

自分にどんな認識の癖や思い込みがあるのかわけりにくいからだ。

二人という最少人数の人間関係は難しいなぁと思う。