gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

苦楽逆転

中3ー28

16:10

ミス4

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

9月の振り返り

今月は振り返りが書きづらい。

というのも、らくだプリントをやることに辛さをほとんど感じなくなった。

出来ないことが現れては、できるようになる繰り返しだ。

これはシンプルに嬉しいことだ。

この感覚は何をやるにしても支えになる。

自分の能力や才能などではなく、1日の積み重ねがこそがこの感覚を得る近道なのだろう。

とは言っても、プリントをやらない日はまだある。

自分にまだ伸び代がある。

楽しみだ。

未来デザインルーム記録 part1

未来デザインについて
gt-24o.hatenablog.jp

未来デザインルームについて

gt-24o.hatenablog.jp

 

月に一度のペースで未来デザインルームという場を開いています。

あるテーマについて考えを整理したり・今後の方向性を確認する時間をとっています。

私自身もその時に必要な作業をしたり、未来デザインワークを自身でもやっています。

Wi-Fi有りの充電もできる静かな部屋で作業できる場所でもありますので、作業をしがてら未来デザインがどんなものなのかを見ていただくのもいいかなと思います。

 

・参加者の感想

無目的ルームで、西尾先生にアドバイスをいただきながらワークをしたのですが、静かな空間で集中して自分と向き合う時間ってすごく貴重だなと感じました。

特に今回良かったのは、日頃目を背けている自分の本音に気が付けたことです。「未来デザイン」と聞いて最初は起業の計画とか将来設計のような事をイメージしていたのですが、今の自分の現状を逃げずに見るというワークが肝のようで感情を抑えたり我慢するのが得意な私には結構グサッと刺さりました(笑)

何度も何度も自分に問いかけるこのワークにしばらく私もハマりそうです。

 

・振り返り

参加者の方の感想に、

”日頃、目を背けている自分の本音に気が付けた”

とあります。

目を背けていることを他者から指摘されることは実生活の中でもあると思います。

しかし、目を背けていると自覚しているなら、改善の余地はありますが、そうでないからもやもやしてしまうことや課題が解決に向かわない。

そんな中で、自覚に至っていない課題をその人の言葉で言われても、批判ではなく、否定と感じてしまいかねません。

未来デザインは、今まで自覚に至らなかった課題を誰かに指摘されたりせずとも、自らに問うていくことでスポットライトを当てていくことができます。

自分に問うていくこと、向き合うことはは簡単ではありませんが、

見えるべきタイミングで見えてくることがあると思います。

部通信 part14

[人の変化について]

人は、今この瞬間もベストを尽くして生きている。

(居心地よさと変化のベストバランスで生きている。)

一つの出来事が起きたときの、

「この場合はこうしよう!」

は100人いたら100人違う。

毎日の出来事からトライとエラーを繰り返して、人生を最適化している。

 

周りから見てその人に(変化したほうがよさそうだと周りが勝手に思った)課題があっても、

その課題をその人自身が自覚し、変化の必要性が出てこなければ、その人は変わらない。

変わらないというより、その人にとって変わる必要がないと言ったほうが自然だろう。

逆に言えば、変化の必要性がでてこれば自然に変われる。

変わる必要があるのだから。

 

そう考えると、人が人のことを変えてやろうというのは少し傲慢なのかもしれない。

その人にはその人の生き方があるし、みんな違っていい。

 

それでも、その人に変化してほしいと思うなら、口先だけを動かしてもその人との関係が悪化するだけだろう。

その人の人生にコメントする権利があるのは本人だけだ。

 

その人に本気で寄り添っていく覚悟があるのなら、

自分ができることがほとんどないことを知ること。

その上で、その人の課題がどう生まれてきているのかを共に考えて、支えて、知っていくことをまずやってみるといい。

今までどう生きてきたのか・どんな価値観をもっているのか・これからどうしたいのか・何を大切にいきているのか。そんなことをお互いに知っていくことで妥協点やお互いにメリットのあるアイディアが生まれるかもしれない。

書くこと

人と人との関わりには言葉になること、言葉にならないことが生まれる。

言葉になったことでも、思い返すと、もっとこう表現したかった・・・

(どう伝わり・どう受け取られるかは別として・・・)

ということがあるし、

言葉にならなかったことなら尚更、文章でカタチにしたくなる。

そうやってカタチにして、その時に自分が本当に言いたかった・伝えたかったことが浮かび上がってくる。

自分と対話して、言葉になってない部分をあばきだそうとする。

 

先日、部通信を読んだ部員から、「なんであれだけ書けるんですか?」と聞かれた。

3年前からブログを書き続けているのもあるが、彼らの一週間はネタまみれなのだ。笑

なので、「君らのことを見ていると自然と書ける。」と伝えた。

見ていないと書けない。逆に見ていないと書けない。

 

人と人との関わりを見ているときや、自分と誰かとの関わりを振り返ると、書いてみたいことが湧き出てきやすいことに気づけた。

部通信 part13

あなたが感じたことはあなたにしか感じられないものだ。

その感じたことを肯定・否定されても集団の中に意見として出してみることは、集団に変化をもたらすかもしれない。

否定される恐怖を感じるのは、集団の雰囲気にもよる。

その恐怖はあなたの中から生み出されている。

恐怖と向き合えるのはあなただけだ。

己が感じたことを意見として出すことで他の人を傷つけるかもしれない。

ある人に嫌われるかもしれない。

それでもその恐怖と向き合って、集団のために意見を出すこと、いいやすい雰囲気を作っていくことは、集団のためには必要なことだと思う。