gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

部通信 part3

「自由と責任」
学校はどんな場所か。
誰と学びたいか? 誰から学びたいか? 何を学びたいか?
どう学びたいか? いつ学びたいか? なぜ学ぶのか?

これらの要素が全て決められている。

これらの全ての要素は選べても良いものだろう。 学校ではこれらの要素が選べないがために、日常生活にも影響を及ぼしている。

「トイレに行っていいか?」

「飲み物を飲んでいいか?」

という質問が出てきてしまうのも無理はないだろう。(許可いるかな?)

しかし、今後やってくるだろう、人生で最も大切な選択するとき、教員や他の人の指示だけを待っているだけでいいのだろうか?

私は君たちを大人なしでも生きていけるような、自分の人生を自分らしく生きていけるような人になってほしい。(自立)

だから、これからは自分のアタマで考えて、自らの責任で行動していくことが大切だろう。

ときには、相談や助言を求めることもあるだろう。(自立と孤立は違うから。)

しかし、最後に自分の人生、自分の選択、人生の瞬間、瞬間を決めていくのは誰でもない自分だ。


「自立と孤立」

全てを自分で決めることもまたバランスが悪い。そのためのチームメートと顧問だ。 自由と責任を意識しながら、孤立せずに皆と協力しながらやっていくにはどうしたらいいか?

・自分で考えるべきことと、皆で考えるべきことを分ける。

・何かを判断したときに、その判断の責任の全てを自分で負えるか?を考えてみる。(厳密に言うと全ては負えない。)

・質問の質を高める

などがあるだろう。


「言い訳と質問」

言い訳をしてしまうのは、自らの現状を受け入れられないからだろう。 自分がチームにどんな影響を及ぼすかを客観的にみる勇気と目が足りたいないかもしれない。

自分が出来ると思っていることが、出来ていないとなると他者と関わる上で困ることが多い。 自分の出来ていないことが見えないとき、同時に出来ていることも見えないことが多いだろう。

自分にどんな能力があるか、自分がどんなふうに見られているか?

が自分で見ようとしない限り、 チームの力にはなりにくい。
言い訳をしてしまううちは次に何をしたら良いかが分からない。

また、言い訳は無自覚に出てしまうものだ。自分の現状に目を向けたくないのもわかる。

ならば、誰かに意見を求めることだろう。よく見ている人に。

質問の質が自分の能力や現状を向上させる。 自分の責任をなすりつける質問でなく、自分で考えられるような質問でなく、 自分では見えないところを、他人では言いにくいところを、自分で聞いていくことが大事だろう。

部通信 part2

この部通信は現在の職場のバレーボール部の高校生へ向けて書いています。

 

高く飛ぶこと、素早く動くこと、判断力などの"機械的"に目に見える能力を向上させることには限界があることは確かです。

2年半となればさらに限りがあります。

可能性は捨てないにしても、本人の実感として難しいと思われることを強制したり、数少ない物差しだけで測ることは、人の価値を安易に判断してしまうことにも繋がりかねません。

ヤル気の有る無しは、その人の意思によるものに限らず環境依存的でもあります。

ならば、新たな価値・役割を作ることが私の役割だと感じています。

 

「役割と役職」
役職は例えるなら、

「労働を行う組織の責任を分配するときに人にあたえられもの」という感じ。

役職は組織が出来たときに、同時に作られ、どんなメンバーが集まろうと誰かが必ず当てはめられる。

役割は、そこに集まった集団に合わせて設定すればよいもの。

だから、キャプテンが必要ないチームもあるだろう。 全員が対等にチームすの運営に対して意見がいえる組織にはキャプテンはいらない。 役職としてキャプテンをやろうとすると辛くなるし、キャプテンは嫌われやすい。 全員が活動理念や、活動目的・目標をもって活動していればキャプテンはいらない。 逆にキャプテンがガミガミ言ったところでチームは変わらない。 上から目線の言葉で指示されるくらいで変わるのだったら苦労はしない。 語尾を強めようと、えらそうに物を言おうと何も変わらない。

では、キャプテンの役割はなんだろう?

号令をかける?練習を考える?・・・

練習メニューを考えるのであれば、全体をみながら、自分の練習をする必要がある。 これが出来る人はキャプテン以外にもいる気がする。 キャプテンはキャプテンにしか出来ないことをやった方がいい。

誰でも出来ることは、全員でやればいい。

 

試合に出る者なら試合で活躍することが役割だ。ここで難しいのは試合に出ない者の役割だ。 試合外、練習外で、バレーボール以外の自分の能力をチームのために使うことが出来ないとチームに貢献しにくい。

(表面化しにくい。)

所詮学校の部活動になるか、されどバレーボールチームとなるか。 それは、チームのために、誰かのために自分の能力をどう使うか?と必死に考えているメンバーがいる かどうかに掛かっている。

面倒

面倒くさがる人は、面倒な人になりやすいと思っている。

と言う、私は面倒くさがりだ。

例えば、

先輩に仕事のことを聞いてみたとする。

しかし、

昨日行われた会議の資料に書いてあることを私が聞いてしまったとすると、

先輩も

「資料に書いてなかったっけ?」

といいながら、資料を開いてくれてしまう。

私自身は、質問してすぐに資料に書いてあることに気づいている。

 

少し考えればわかったり、調べればわかることを、

簡単に聞いてしまうと、面倒くさがられるだろう。

 

単純作業でなんとかなる面倒なことほど自分でなんとかした方がいい。

誰かと協力することでしか道が開かれないことは誰かの力を借りた方がいい。

 

おわり

自分之起

中2ー25

20:18

ミス:4

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[5月の振り返り]

5月はらくだをやらない日はなかった。

なぜだか、

「らくだを毎日、続けてやった。」

という表現でなく、

「やらない日はなかった。」

という表現がしっくりくる。

 

何だろう、

「もう1人の自分が、プリントを行なった。」

という感じだ。

私がプリントをやったというより、

プリントをやったという事が起こった。

というべきか。

何だろうか。自分でもよくわからないのだが、そんな感じだ。

頑張らず、意志にも振り回されず、(雨にも負けず・・・笑)

 

自然と、

「今日のプリントはこのタイミングだろうなぁ。」

という直感が働くようにもなっている気がする。

 

おわり