gt-24o’s blog

教員として働きながら、学習・交流団体「教師塾」を主宰しています。わかるとできるの違いに注意しながら、思慮深く、大胆に書きます。

自分の位置

地元の草野球チームの元チームメイトたち、

大学の友人達、

バイトの先輩、タメ、後輩、店長さんたち、

現在の野球チームさんたち、

職場の方々、

教師塾に参加してくれている方々、

大学の準硬式野球部、

週一でいく焼き鳥屋さん、

1ー4担任など。

 

まだまだ、関わる人たちはいて、

関わる集団が変われば、自分の立ち位置も、キャラクターも変わる。

対関係

の場合はまた変わる。(みたい。笑)

 

私は変わるキャラクターでそのままでいることをオススメする。

私のキャラクターの設定するのは他人だからだ。

 

自分のことを、どんなキャラか?

と設定するのは疲れる。

その場で、みんなが思ってるキャラクターがあって、自分は自然に過ごしていれば、居心地の良い場所になって来ると思う。

 

その場で表現できることは、限られている。

 

おそらく、職場の方々は、週末に草野球で、「オラァァ!」とか言いながら、野球をしている姿は想像出来ないだろう。

 

週一でいく焼き鳥屋さんは、僕が職場で、やらかしてる姿を想像しないだろう。

(そんな視点で見ていない。美味そうか、満足してるか?くらいなもんだ。笑)

 

複数の集団に属しながら、幅のあるキャラクターで受け入れられることは、楽しく生きる上で大切だと思う。

 

職場にいる時間が多いなーって思ったら、

駅から遠くて、静かなお店でビールを飲むことをお勧めする。

 

おわり

「やれば出来る」→「やれば、やったという事実が残る」

「やれば出来る!」

これはその人の物差しで、”出来た”人の言い分だ。

時には、励ます意味で使うこともあるとは思いますが^^

 

出来るという基準をどこに持つかですが、

自分の中に、出来た、出来ないのボーダーの有無も大切です。

 

成功

や、

頑張った

の基準が他者のつくったものだと、どんなことに対しても価値が薄れる気がします。

まずは自分で、自分のやることに価値をつけることだと思います。

 

そして、まずやってみる。

 

やってみて、やったことについては後から考えればOK

 

やったという事実が残る。それだけで十分だと思う。

 

ただ、それは自分で考えて、

自らすすんでやってみたことの方がより意味がある気がしています。

環境に左右されず、自分で決めて、

やってみる。

その事実が自分にどんなことをもたらしたのか、素直に自分に聞いてみる。

それでいいし、それがいいと感じています。

 

おわり

自分次第とは?

「勉強できるかどうか、するかしないかは自分次第だぞ。」

とかたまに言ってしまう。

 

最終的に決めるのはもちろん自分。

どんな決まりごとだって、

守らないきゃいけない法律だって、

最終的に決めるのは自分。

 

しかし、その環境で、その人間関係の中で、

その人の主体性は保障されているのかを考えなくてはいけない。

(少なくとも私は考えたい。)

 

主体的に生きることが出来ない状態が続くと、その人が主体的に決めた方がよい時などにもかなりの弊害が出てくる。

誰が人生の主役なのかわからなくなる。

 

だから、前提としては自己決定性を意識しながら…

 

わかってはいるけど、

やりたいことがあるけど、

本当はこうしたいけど、

を拾っていく。

その気持ちが、その意思がいかに大切かを伝え続ける。

ルールの網目をみつける手助けをしていく。

自分で考えても、

発言しても無駄な環境にしないように。

 

おわり。

その時

いつも気を付けて、何かにつけて心配をするのでなく、

信じきってほっとくわけでもなく、

その人の、その子の、

”その時”

に気付ける人でありたい。

 

それには、

よく見ることだと思う。

 

”その時”を逃さない。

 

おわり

できる・できない 伝授と考察

先輩から教えて頂きました。

全てこれで説明できるわけではありませんが、

一つの指標になると思いました。

 

① 無意識⇆有能

② 有意識⇆有能

③ 有意識⇆無能

④ 無意識⇆無能

 

① は無意識にできている状態

(できていることに気づいていない・できるに向かうことにストレスがない状態)

② 意識して(頭で想像する)できるまでもっていっている状態

(できるに向かう時にストレスを感じている状態)

③ 意識して(頭で想像する)できるという状態までもっていこうとするができていない状態

 

④ できていないことに気づいてないから、出来るようになろうとしていない状態

 

まず、"できる"という状態を自分で決めるのか、他者が設定するのかでこの"できる"という言葉の意味が大きく変わってくる。

また、その日のコンディションによって変わることもある。

 

できていると思った瞬間に、できていない領域があることに気づいていないことを意味する。

 

無意識で無能であることと、

無意識で有能であることは隣り合わせだ。

 

そう考えると、できる・できないに基準を設けることは一つ大切なことである。

 

大切なのは①の状態にあるときだ。

①の状態で、ゴールした感覚になった時、

④にもなる。

④は悪い状態ではなく、

①はほぼ④である。

④で何かできていないことに気づくことで、

③及び②から①にいくという道が拓ける。

 

だから、④→③→②→①→④

というようなループであって、

このループは螺旋状に上に上がっていく。

 

おわり