好きなことをしている時に、
「よっしゃー!!今、学んでるぜ!!」
ってあんまり思わない気がする。
学校祭で、ボイスパーカッション(かなりのクオリティ)を野外ステージで披露し、喝采を浴びていた子がいました。(もちろん大好き3年6組のK君)
野暮な質問かもしれませんが、
西:「なんでボイパやるようになったの?」
と聞いてみました。
K君:「んーーーなんでって言われても・・・」
西:「モテたいから?ニヤリ」
K君:「それでいいっすよ。笑」
というような会話があり、
実は西尾は一度やってみるも、自分の出来なさと、やろうとしてる恥ずかしさに耐え切れずにやめた。
というところまで突っ込まれ、いじられたというオチなのですが。
知らぬ間に、体験と知識を得て、
知らぬ間に経験をし、
知らぬ間に学んでいることがあるとしたら、
それは学びとしては理想的な気がする。
このような状態を「学ぶ」といってよいかどうか迷うところである。
ここで迷ってしまうのは、「学ぶ」という言葉に、真剣さだとか、何かの役に立つかだとか、偏差値だとか、学校でやるものだとかっていう意味合いがこびり付いているからなのかもしれない。
興味のないことは、学べない。(ことが多い)
知りたい、体験したいと思わないからだ。
だけど、
「この事柄には、興味がわかないな。(無意識のうちに切り捨てている。)」
という状態から、
「この事柄には、興味がわかない気がするけど(※1 今まで認識すらしてなかったけど)、ちょっとやってみるか??」
というように、
興味がわかなさそうだけど、やってみたら興味がわいて、今まで知る由もなかったところに足を踏みいれていく可能性に、かけてやってみる。
これが「学ぶ」ということでもある気がする。
おわり。
※1 誰かに言われたことをサクッとやってみることで、自己認識の外側に行けるのだと思っています。(私は苦手なたちですが。笑)